54]下に、一輪の名花を咲かせてけり。この時を始として、余と少女との交漸く繁くなりもて行きて、同郷人にさへ知られぬれば、彼らは速了にも、余を以て色を舞姫の群に漁するものとしたり。われ等二人の間にはまだ癡※[#「馬+埃のつくり」、第3水準1−94−13]《ちがい》なる歡樂のみ存じたりしを。
 その名を斥《さ》さんは憚あれど、同郷人の中に事を好む人ありて、余が屡※[#二の字点、1−2−22]芝居に出入して、女優と交るといふことを、官長の許に報じつ。さらぬだに余が頗る學問の岐路に走るを知りて憎み思ひし官長は、遂に旨を公使館に傳へて、我官を免じ、我職を解いたり。公使がこの命を傳ふる時余に謂ひしは、御身若し即時に郷に歸らば、路用を給すべけれど、若し猶こゝに在らんには、公の助けをば仰ぐべからずとのことなりき。余は一週日の猶豫を請ひて、とやかうと思ひ煩ふうち、我生涯にて尤も悲痛を覺えさせたる二通の書状に接しぬ。この二通は殆ど同時にいだしゝものなれど、一は母の自筆、一は親族なる某が、母の死を、我がまたなく慕ふ母の死を報じたる書なりき。余は母の書中の言をこゝに反覆するに堪へず、涙の迫り來て筆の運を妨ぐれ
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