、腸《はらわた》日ごとに九廻すともいふべき慘痛をわれに負はせ、今は心の奧に凝り固まりて、一點の翳とのみなりたれど、文讀むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、聲に應ずる響の如く、限なき懷舊の情を喚び起して、幾度となく我心を苦む。嗚呼、いかにしてか此恨を銷《せう》せむ。若し外の恨なりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地すが/\しくもなりなむ。これのみは餘りに深く我心に彫りつけられたればさはあらじと思へど、今宵はあたりに人も無し、房奴の來て電氣線の鍵を捩るには猶程もあるべければ、いで、其概略を文に綴りて見む。
 余は幼き比《ころ》より嚴しき庭の訓を受けし甲斐に、父をば早く喪ひつれど、學問の荒み衰ふることなく、舊藩の學館にありし日も、東京に出でゝ豫備|黌《くわう》に通ひしときも、大學法學部に入りし後も、太田豐太郎といふ名はいつも一級の首にしるされたりしに、一人子の我を力になして世を渡る母の心は慰みけらし。十九の歳には學士の稱を受けて、大學の立ちてよりその頃までにまたなき名譽なりと人にも言はれ、某省に出仕して、故郷なる母を都に呼び迎へ、樂しき年を送ること三とせばかり、官長の覺え殊なりしかば、洋行して一課の事務を取り調べよとの命を受け、我名を成さむも、我家を興さむも、今ぞとおもふ心の勇み立ちて、五十を踰《こ》えし母に別るゝをもさまで悲しとは思はず、遙々と家を離れてベルリンの都に來ぬ。
 余は模糊たる功名の念と、檢束に慣れたる勉強力とを持ちて、忽ちこの歐羅巴の新大都の中央に立てり。何等の光彩ぞ、我目を射むとするは。何等の色澤ぞ、我心を迷はさむとするは。菩提樹下と譯するときは、幽靜なる境なるべく思はるれど、この大道髮の如きウンテル、デン、リンデンに來て兩邊なる石だゝみの人道を行く隊々の士女を見よ。胸張り肩聳えたる士官の、まだ維廉《ヰルヘルム》一世の街に臨める※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]《まど》に倚り玉ふ頃なりければ、樣々の色に飾り成したる禮裝をなしたる、妍《かほよ》き少女の巴里まねびの粧したる、彼も此も目を驚かさぬはなきに、車道の土瀝青《チヤン》の上を音もせで走るいろ/\の馬車、雲に聳ゆる樓閣の少しとぎれたる處には、晴れたる空に夕立の音を聞かせて漲り落つる噴井の水、遠く望めばブランデンブルク門を隔てゝ緑樹枝をさし交はしたる中より、半天に浮び出でたる凱旋塔の神女の像、この許多
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