は亡くなったのだから、もういたし方がございません。」ユリアが警部にこう云ったのは無理も無い。あんなやくざもののツァウォツキイを、死んだあとになってまで可哀く思うのは、実に怪しからん事である。さて葬いのあった翌日からは、ユリアは子供の着物を縫いはじめた。もう一月で子供が生れることになっていたからである。
ツァウォツキイは無縁墓に埋められたのである。ところがそこには葬いの日の晩までしかいなかった。警察の事に明るい人は誰も知っているだろうが、毎晩市の仮拘留場の前に緑色に塗った馬車が来て、巡査等が一日勉強して拾い集めた人間どもを載せて、拘留場へ連れて行く。ちょうどこれと同じように墓地へも毎晩緑色に塗った車が来て、自殺したやくざものどもを載せて行く。すぐに地獄へ連れ込むのではない。それはまず浄火と云うもので浄めなくてはならないからである。浄めると云うのは悉《くわ》しく調べるのである。この取調べの末に、いつでも一人や二人は極楽へさえやって貰うのである。
この緑色の車に、外の人達と一しょにツァウォツキイも載せられた。小刀を胸に衝き挿したままで載せられた。馬車はがたぴしと夜道を行く。遠く遠く夜道を行く。そのうちに彼誰時《かわたれどき》が近くなった。その時馬がたちまち駆歩になって、車罔《しゃもう》は石に触れて火花を散らした。ツァウォツキイは車の小さい穴から覗いて見た。馬車は爪先下りの広い道を、谷底に向って走っている。谷底は薔薇色の靄に鎖されている。その早いこと飛ぶようである。しばらくして車輪が空を飛んで、町や村が遙か下の方に見えなくなった。ツァウォツキイはそれを苦しくも思わない。胸に小刀を貫いている人には、もう物事を苦しく思うことは無いものである。
馬車が駐まった。載せられて来たものは一人ずつ降りた。押丁《おうてい》がそれを広い糺問所に連れ込む。一同待合室で待たせられる。そこでは煙草を呑むことが禁じてある。折々眼鏡を掛けた老人の押丁が出て名を呼ぶ。とうとうツァウォツキイの番になって、ツァウォツキイが役人の前に出た。
役人は罫を引いた大きい紙を前に拡げて、その欄の中になんだか書き入れていたが、そのまま顔を挙げずに、「名前は」と云った。
「アンドレアス・ツァウォツキイです。」
「何歳になる。」
「三十二になります。」
「生れは。」
ツァウォツキイは黙っていた。
役人はそれでも
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