とう/\あんな風になりまして」と、二度目に繰り返す声は、聞き取りにくい程微かであつた。
「成行を考へて見ますと悲しうございます」と、夫人は病気の顛末を話した。
 プラトンは、多くも少くもない、中等の俸給を貰つてゐる役人の常として、これまで始終控へ目勝ちに、平穏な生活をしてゐた。困窮もしないが、贅沢にも陥いらない。心に明るい印象を受けず、深い感じも起さずに、灰色の歓喜、灰色の苦労から成り立つた灰色の生活をしてゐた。此人の幸福は無智な、狭隘《けいふあい》な人物の幸福であつた。此人は善良なるハアトを持つてゐた。併しその鼓動は余り高まることが無い。それに家族以外の事には感動しないハアトなのである。此人の精神上の地平線は、自分が参事官の下級から上級まで歴昇《へのぼ》つた地方庁と、骨牌《かるた》遊びをする、緑色の切れの掛けてある卓《つくゑ》を中心にした倶楽部との外に出でない。一切の事物が平穏に経過して行く。譬へば軌道の上を走るやうな生活である。極まつた年限を勤めるごとに、きちんと進級する。一度は珍らしくスタニスラウスの三等勲章を貰つたこともある。家族が殖えると同時に、俸給が増す。
 高等学校に入れ
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