ふ。紀尾井第を営むとて、姑《しばら》く東叡山に住ませ給ふ。
十五年壬午、三十六歳。東京におはす。恒久王生れさせ給ふ。東叡山より新第に帰り入らせ給ふ。
十六年癸未、三十七歳。東京におはす。参謀本部出仕を罷められ、戸山学校次長に補せられさせ給ふ。戸山学校次長を罷められ、同じ学校の教頭に補せられさせ給ふ。
十七年甲申、三十八歳。東京におはす。陸軍少将に任ぜられ、東京鎮台司令官に補せられさせ給ふ。
十八年乙酉、三十九歳。東京におはす。歩兵第一旅団長に補せられさせ給ふ。延久王、満子女王生れさせ給ふ。
十九年丙戌、四十歳。東京におはす。妃山内氏光子病の為に家に帰らせ給ふ。妃島津氏富子を納れさせ給ふ。大勲位に叙せられさせ給ふ。
二十年丁亥、四十一歳。東京におはす。成久王、貞子女王生れさせ給ふ。
二十一年戊子、四十二歳。東京におはす。輝久王生れさせ給ふ。
二十二年己丑、四十三歳。東京におはす。
二十三年庚寅、四十四歳。東京におはす。武子女王生れさせ給ふ。貴族院の議席に列せさせ給ふ。
二十四年辛卯、四十五歳。東京におはす。露国皇太子大津に遭難せさせ給ふとき、勅によりて往きて訪はせ給ふ。信子女王生れさせ給ふ。
二十五年壬辰、四十六歳。初め東京に、後熊本におはす。是より先き信子女王薨ぜさせ給ふ。御母鷹司氏景子薨ぜさせ給ふ。陸軍中将に任ぜられ、第六師団長に補せられさせ給ひて、十二月二十三日東京を発し、二十八日熊本に着かせ給ふ。
二十六年癸巳、四十七歳。初め熊本、後大阪におはす。是より先き、東京にて第四師団長に任ぜられさせ給ひ、大阪に赴任せさせ給ひ、泉布観に住ませ給ふ。
二十七年甲午、四十八歳。大阪におはす。清国との戦始まる。
二十八年乙未、四十九歳。初め大阪、次に東京、次に満洲、後台南におはす。是より先き近衛師団長に補せられさせ給ひ、二月二日大阪より東京に至り、霞関なる海軍大臣官舎に入らせ給ふ。三月二十五日東京を発せさせ給ひ、二十七日広島に至らせ給ふ。四月十日宇品にて乗船せさせ給ひ、十四日|柳樹屯《りうじゆとん》にて上陸せさせ給ふ。五月二十二日|旅順《りよじゆん》を発せさせ給ひ、三十日台湾|三貂角《さんてうかく》にて上陸せさせ給ふ。十月二十八日台南に薨《こう》ぜさせ給ふ。
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底本:「鴎外歴史文学集 第一巻」岩波書店
2001(平成13)年1月30日発行
底本の親本:「能久親王事蹟」東京偕行社内棠陰会編纂、春陽堂
1908(明治41)年6月29日刊行
初出:「能久親王事蹟」東京偕行社内棠陰会編纂、春陽堂
1908(明治41)年6月29日刊行
※初出時の署名は、「森林太郎」です。
入力:しだひろし
校正:岩澤秀紀
2008年3月24日作成
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