らし、三月二十日東叡山に帰り入らせ給ふ。慶喜東叡山を出でて水戸に赴く。大総督宮江戸城に入らせ給ふ。能久親王を城に迎へまつらんとせさせ給ひしに、障《さはり》ありて果させ給はず。五月十五日官軍東叡山を囲みて彰義隊を討つ。能久親王東叡山を出でさせ給ふ。二十五日親王長鯨丸に乗りて江戸を発せさせ給ふ。これより仙台、白石等に留まらせ給ふ。九月二十日書を白河口なる総督四条隆謌に致させ給ふ。十月十二日仙台を発せさせ給ふ。十一月十九日京都に着かせ給ひ、朝命によりて伏見宮邸に謹慎せさせ給ふ。
二年己巳、二十三歳。京都におはす。十月四日謹慎を解かれ、伏見宮に復帰せさせ給ふ。
三年庚午、二十四歳。京都におはし、後欧洲行の途に着かせ給ふ。是より先き、京都大学に入らせ給ふ。十月二十七日京都を発せさせ給ひ、閏《うるふ》十月二日東京なる東伏見宮第に着かせ給ひ、尋《つ》いで有栖川宮第に徙《うつ》らせ給ふ。能久の名に復《かへ》らせたまひ、伏見満宮と称へさせ給ふ。十二月三日|独逸《ドイツ》に留学せんと、横浜を発せさせ給ふ。
四年辛未、二十五歳。伯林《ベルリン》におはす。是より先き、二月十八日伯林に着かせ給ふ。
五年壬申、二十六歳。伯林におはす。三品に叙せられさせ給ふ。北白川宮を襲《つ》がせ給ふ。御父邦家親王薨ぜさせ給ふ。
六年癸酉、二十七歳。伯林におはす。
七年甲戌、二十八歳。伯林におはす。
八年乙亥、二十九歳。伯林におはす。聯隊勤務に就かせ給ひ、普魯士《プロシア》国陸軍大学校に入らせ給ふ。歩兵少佐に任ぜられさせ給ふ。
九年丙子、三十歳。伯林におはす。紀尾井町の第《やしき》の地を賜はる。
十年丁丑、三十一歳。初め伯林、後東京におはす。普魯士《プロシア》国陸軍大学校の業を卒《を》へさせ給ひ、四月十二日伯林を発せさせ給ひ、七月二日紀尾井町の第に帰り入らせ給ふ。
十一年戊寅、三十二歳。東京におはす。戸山学校に入らせ給ふ。仁孝天皇の御猶子《ごいうし》に復《かへ》らせ給ふ。近衛局出仕にならせ給ふ。勲一等に叙せられさせ給ふ。妃山内氏光子を納《い》れさせ給ふ。
十二年己卯、三十三歳。東京におはす。中佐に任ぜられさせ給ふ。
十三年庚辰、三十四歳。東京におはす。近衛局出仕を罷《や》められ、参謀本部出仕にならせ給ふ。二品に叙せられさせ給ふ。
十四年辛巳、三十五歳。東京におはす。議定官を兼ねさせ給ふ。歩兵大佐に任ぜられさせ給
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