いやし》くも想像力にうぶな、原始的な性能を賦《ふ》し、新しい活動の強みを与えるような偶然の機会があったら、それを善用しなくてはならないと云うのである。
 しかるにこのイソダンの消印のある手紙は、幸にもその暗示的作用を有する機会の一つであった。先生はこの手紙が自己の空想の上に、自己の霊の上に、自然に強大に感作するのを見て、独り自ら娯《たの》しんでいる。
 この手紙を書いた女はピエエル・オオビュルナンの記憶にはっきり残っている。この文字はマドレエヌ・スウルヂェエの手である。自分がイソダンで識っていた時は未亡人でいた美人である。それが自分のパリイに出たあとで再縁して、今ではマドレエヌ・ジネストと名告《なの》っている。スウルヂェエにしろ、ジネストにしろ、いずれも誰にも知られない平民的な苗字《みょうじ》で目下自分の交際している貴夫人何々の名に比べてみれば、すこぶる殺風景である。しかしこの平民的な苗字が自分の中心を聳動《しょうどう》して、過ぎ去った初恋の甘い記念を喚び起すことは争われない。
 その時のピエエルは高等学校を卒業したばかりで、高慢なくせにはにかんだ、世慣れない青年であった。丈は不吊合《
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