る。そんな時に電報を打つ人もあるかも知れない。これは少し牛刀鶏を割《さ》く嫌《きらい》がある。その上|厳《いか》めしい配達の為方《しかた》が殺風景である。そういう時には走使《はしりつかい》が欲しいに違ない。会杜の徽章《きしょう》の附いた帽を被《かぶ》って、辻々《つじつじ》に立っていて、手紙を市内へ届けることでも、途中で買って邪魔になるものを自宅へ持って帰らせる事でも、何でも受け合うのが伝便である。手紙や品物と引換に、会社の印の据《す》わっている紙切をくれる。存外間違はないのである。小倉で伝便と云っているのが、この走使である。
伝便の講釈がつい長くなった。小倉の雪の夜に、戸の外の静かな時、その伝便の鈴の音がちりん、ちりん、ちりん、ちりんと急調に聞えるのである。
それから優しい女の声で「かりかあかりか、どっこいさのさ」と、節を附けて呼んで通るのが聞える。植物採集に持って行くような、ブリキの入物に花櫚糖《かりんとう》を入れて肩に掛けて、小提灯《こぢょうちん》を持って売って歩くのである。
伝便や花櫚糖売は、いつの時侯にも来るのであるが、夏は辻占《つじうら》売なんぞの方が耳に附いて、伝便の鈴の音、花櫚糖売の女の声は気に留まらないのである。
こんな晩には置炬燵《おきごたつ》をする人もあろう。しかし実はそれ程寒くはない。
翌朝|手水鉢《ちょうずばち》に氷が張っている。この氷が二日より長く続いて張ることは先ず少い。遅くも三日目には風が変る。雪も氷も融《と》けてしまうのである。
弐
小倉の雪の夜の事であった。
新魚町《しんうおのまち》の大野|豊《ゆたか》の家に二人の客が落ち合った。一人は裁判所長の戸川という胡麻塩頭《ごましおあたま》の男である。一人は富田という市病院長で、東京大学を卒業してから、この土地へ来て洋行の費用を貯《たくわ》えているのである。費用も大概出来たので、近いうちに北川という若い医学士に跡を譲って、出発すると云っている。富田院長も四十は越しているが、まだ五分刈頭に白い筋も交《まじ》らない。酒|好《ずき》だということが一寸《ちょっと》見ても知れる、太った赭顔《あからがお》の男である。
極《ごく》澹泊《たんぱく》な独身生活をしている主人は、下女の竹に饂飩《うどん》の玉を買って来させて、台所で煮させて、二人に酒を出した。この家では茶を煮る
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