いふには、少し scandal の気味を帯びてゐなくてはだめなやうだ。併し雑誌の体面といふものがある。僕はさう思つて、新喜楽の三字に棒を引いて、傍へ「追儺」と書いた。これなら少くも真面目に見える。僕は豆打の話をしようと思ふ。そして其豆打は築地の新喜楽での出来事なのである。そして僕が此話をすることの出来るのは M. F 君のお蔭である。僕は追儺と書いた左傍に、「M. F 君に献ず」と書かうかと思つた。書籍に dedicate するといふことがある以上は、雑誌の中に書いたものにもそれがあつても好くはあるまいか。「翻訳の権利を保留す」、「転載を禁ず」なぞは、雑誌にも随分あるではないか。併し謹厳といふ字を僕の形容に使ふことに極めてゐる新聞記者諸君が狼狽しては気の毒だと思つて止めた。M. F 君は劇談会で二三度出会つた人である。二月三日の午後六時に、僕を新喜楽へ案内した。活版の案内状に、何某も呼んであるから来いといふ書添がしてあつた。所謂何某が女性の名や何ぞでないことは、僕を呼ぶのであるから言ふことを待たない。役所は四時に引ける。卓の上に出してある取扱中の書類を、非常持出の箪笥にしまつて鍵を掛け
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