大抵|揣摩《しま》である。
 大阪は全国の生産物の融通分配を行つてゐる土地なので、どの地方に凶歉《きようけん》があつても、すぐに大影響を被《かうむ》る。市内の賤民が飢饉に苦むのに、官吏や富豪が奢侈を恣《ほしいまゝ》にしてゐる。平八郎はそれを憤《いきどほ》つた。それから幕府の命令で江戸に米を回漕《くわいさう》して、京都へ遣《や》らない。それをも不公平だと思つた。江戸の米の需要に比すれば、京都の米の需要は極《ごく》僅少であるから、京都への米の運送を絶たなくても好ささうなものである。全国の石高《こくだか》を幕府、諸大名、御料、皇族並公卿、社寺に配当したのを見るに、左の通である。
      石高実数(単位万石) 全国石高に対する百分比例
徳川幕府   800         29.2
諸大名   1900         69.4
御料      3          0.1
皇族并公卿   4.7         0.2
社寺      30          1.2
――――――――――――――――――――
 計    2737.7        100
 天保元年、二年は豊作であつた。
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