取るに任せたからである。
 人々は黙つて平八郎の気色《けしき》を伺《うかが》つた。平八郎も黙つて人々の顔を見た。暫《しばら》くして瀬田が「まだ米店《こめみせ》が残つてゐましたな」と云つた。平八郎は夢を揺《ゆ》り覚《さま》されたやうに床几《しやうぎ》を起《た》つて、「好《よ》い、そんなら手配《てくばり》をせう」と云つた。そして残《のこり》の人数《にんず》を二手《ふたて》に分けて、自分達親子の一手は高麗橋《かうらいばし》を渡り、瀬田の一手は今橋《いまばし》を渡つて、内平野町《うちひらのまち》の米店《こめみせ》に向ふことにした。

   八、高麗橋、平野橋、淡路町

 土井の所へ報告に往つた堀が、東町奉行所に帰つて来て、跡部《あとべ》に土井の指図《さしづ》を伝へた。両町奉行に出馬せいと指図したのである。
「承知いたしました。そんなら拙者は手の者と玉造組《たまつくりぐみ》とを連れて出ることにいたしませう。」跡部はかう云つた儘《まゝ》すわつてゐた。
 堀は土井の機嫌の悪いのを見て来たので、気がせいてゐた。そこで席を離れるや否《いな》や、部下の与力同心を呼び集めて東町奉行所の門前に出た。そこには広瀬が京橋組の同心三十人に小筒《こづゝ》を持たせて来てゐた。
「どこの組か」と堀が声を掛けた。
「京橋組でござります」と広瀬が答へた。
「そんなら先手《さきて》に立て」と堀が号令した。
 同階級の坂本に対しては命令の筋道を論じた広瀬が、奉行の詞《ことば》を聞くと、一も二もなく領承した。そして鉄砲同心を引き纏《まと》めて、西組与力同心の前に立つた。
 堀の手は島町通《しまゝちどほり》を西へ御祓筋《おはらひすぢ》まで進んだ。丁度大塩|父子《ふし》の率《ひき》ゐた手が高麗橋に掛かつた時で、橋の上に白旗《しらはた》が見えた。
「あれを打たせい」と、堀が広瀬に言つた。
 広瀬が同心等に「打て」と云つた。
 同心等の持つてゐた三|文目《もんめ》五|分筒《ふんづゝ》が煎豆《いりまめ》のやうな音を立てた。
 堀の乗つてゐた馬が驚いて跳《は》ねた。堀はころりと馬から墜《お》ちた。それを見て同心等は「それ、お頭《かしら》が打たれた」と云つて、ぱつと散つた。堀は馬丁《ばてい》に馬を牽《ひ》かせて、御祓筋《おはらひすぢ》の会所《くわいしよ》に這入《はひ》つて休息した。部下を失つた広瀬は、暇乞《いとまごひ》をして
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