立ち寄つて二十一日には彦根へ着いた。

   五、門出

 瀬田済之助《せたせいのすけ》が東町奉行所の危急を逃《のが》れて、大塩の屋敷へ駆け込んだのは、明《あけ》六つを少し過ぎた時であつた。
 書斎の襖《ふすま》をあけて見ると、ゆうべ泊つた八人の与党《よたう》、その外《ほか》中船場町《なかせんばまち》の医師の倅《せがれ》で僅《わづか》に十四歳になる松本|隣太夫《りんたいふ》、天満《てんま》五丁目の商人阿部|長助《ちやうすけ》、摂津《せつつ》沢上江村《さはかみえむら》の百姓|上田孝太郎《うえだかうたらう》、河内《かはち》門真三番村の百姓|高橋九右衛門《たかはしくゑもん》、河内|弓削村《ゆげむら》の百姓|西村利三郎《にしむらりさぶらう》、河内|尊延寺村《そんえんじむら》の百姓|深尾才次郎《ふかをさいじらう》、播磨《はりま》西村の百姓|堀井儀三郎《ほりゐぎさぶらう》、近江《あふみ》小川村の医師|志村力之助《しむらりきのすけ》、大井、安田等に取り巻かれて、平八郎は茵《しとね》の上に端坐《たんざ》してゐた。
 身《み》の丈《たけ》五尺五六寸の、面長《おもなが》な、色の白い男で、四十五歳にしては老人らしい所が無い。濃い、細い眉《まゆ》は弔《つ》つてゐるが、張《はり》の強い、鋭い目は眉程には弔つてゐない。広い額《ひたひ》に青筋《あをすぢ》がある。髷《まげ》は短く詰《つ》めて結《ゆ》つてゐる。月題《さかやき》は薄い。一度|喀血《かくけつ》したことがあつて、口の悪い男には青瓢箪《あをべうたん》と云はれたと云ふが、現《げ》にもと頷《うなづ》かれる。
「先生。御用心をなさい。手入れがあります。」駆け込んで、平八郎が前にすわりながら、瀬田は叫んだ。
「さうだらう。巡見《じゆんけん》が取止《とりやめ》になつたには、仔細《しさい》がなうてはならぬ。江戸へ立つた平山の所為《しよゐ》だ。」
「小泉は遣《や》られました。」
「さうか。」
 目を見合せた一座の中には、同情のささやきが起つた。
 平八郎は一座をずつと見わたした。「兼《かね》ての手筈《てはず》の通りに打ち立たう。棄て置き難《がた》いのは宇津木一|人《にん》だが、その処置は大井と安田に任せる。」
 大井、安田の二|人《にん》はすぐに起《た》たうとした。
「まあ待て。打ち立つてからの順序は、只《たゞ》第一段を除いて、すぐに第二段に掛かるまでぢ
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