微笑が又純一には気になった。それはどうも自分を見下《みくだ》している微笑のように思われて、その見下されるのが自分の当然受くべき罰のように思われたからである。
純一はどうにかして名誉を恢復《かいふく》しなくてはならないような感じがした。そして余程勇気を振り起して云った。
「どうです。少しお掛なすっては」
「難有《ありがと》う」
右の草履が碾磑《ひきうす》の飛石を一つ踏んで、左の草履が麻の葉のような皴《しゅん》のある鞍馬の沓脱《くつぬぎ》に上がる。お雪さんの体がしなやかに一捩《ひとねじ》り捩られて、長い書生羽織に包まれた腰が蹂口に卸された。
諺《ことわざ》にもいう天長節日和の冬の日がぱっと差して来たので、お雪さんは目映《まぶ》しそうな顔をして、横に純一の方に向いた。純一が国にいるとき取り寄せた近代美術史に、ナナという題のマネエの画があって、大きな眉刷毛《まゆばけ》を持って、鏡の前に立って、一寸横に振り向いた娘がかいてあった。その稍や規則正し過ぎるかと思われるような、細面《ほそおもて》な顔に、お雪さんが好く似ていると思うのは、額を右から左へ斜《ななめ》に掠《かす》めている、小指の大きさ程ずつに固まった、柔かい前髪の為めもあろう。その前髪の下の大きい目が、日に目映しがっても、少しも純一には目映しがらない。
「あなたお国からいらっしった方のようじゃあないわ」
純一は笑いながら顔を赤くした。そして顔の赤くなるのを意識して、ひどく忌々しがった。それに出し抜けに、美中に刺《し》ありともいうべき批評の詞を浴《あび》せ掛けるとは、怪《け》しからん事だと思った。
婆あさんはお鉢を持って、起《た》って行った。二人は暫く無言でいた。純一は急に空気が重くろしくなったように感じた。
垣の外を、毛皮の衿《えり》の附いた外套《がいとう》を着た客を載せた車が一つ、田端の方へ走って行った。
とうとう婆あさんが膳を下げに来るまで、純一は何の詞をも見出《みいだ》すことを得なかった。婆あさんは膳と土瓶とを両手に持って、二人の顔を見競《みくら》べて、「まあ、大相《たいそう》お静《しずか》でございますね」と云って、勝手へ行った。
蹲の向うの山茶花《さざんか》の枝から、雀が一羽飛び下りて、蹲の水を飲む。この不思議な雀が純一の結ぼれた舌を解《ほど》いた。
「雀が水を飲んでいますね」
「黙っていらっしゃいよ」
純一は起って閾際まで出た。雀はついと飛んで行った。お雪さんは純一の顔を仰いで見た。
「あら、とうとう逃がしておしまいなすってね」
「なに、僕が来なくたって逃げたのです」大分遠慮は無くなったが、下手な役者が台詞《せりふ》を言うような心持である。
「そうじゃないわ」詞遣は急劇に親密の度を加えて来る。少し間を置いて、「わたし又来てよ」と云うかと思うと、大きい目の閃《ひらめき》を跡に残して、千代田草履は飛石の上をばたばたと踏んで去った。
五
純一は机の上にある仏蘭西《フランス》の雑誌を取り上げた。中学にいるときの外国語は英語であったが、聖公会の宣教師の所へ毎晩通って、仏語を学んだ。初《はじめ》は暁星《ぎょうせい》学校の教科書を読むのも辛かったが、一年程通っているうちに、ふいと楽に読めるようになった。そこで教師のベルタンさんに頼んで、巴里《パリイ》の書店に紹介して貰った。それからは書目を送ってくれるので、新刊書を直接に取寄せている。雑誌もその書店が取り次いで送ってくれるのである。
開けた処には、セガンチニの死ぬるところが書いてある。氷山を隣に持った小屋のような田舎屋である。ろくな煖炉《だんろ》もない。そこで画家は死に瀕《ひん》している。体のうちの臓器はもう運転を停《とど》めようとしているのに、画家は窓を開けさせて、氷の山の巓《いただき》に棚引く雲を眺めている。
純一は巻を掩《おお》うて考えた。芸術はこうしたものであろう。自分の画《え》がくべきアルプの山は現社会である。国にいたとき夢みていた大都会の渦巻は今自分を漂わせているのである。いや、漂わせているのなら好《い》い。漂わせていなくてはならないのに、自分は岸の蔦蘿《つたかずら》にかじり附いているのではあるまいか。正しい意味で生活していないのではあるまいか。セガンチニが一度も窓を開けず、戸の外へ出なかったら、どうだろう。そうしたら、山の上に住まっている甲斐《かい》はあるまい。
今東京で社会の表面に立っている人に、国の人は沢山ある。世はY県の世である。国を立つとき某元老に紹介して遣ろう、某大臣に紹介して遣ろうと云った人があったのを皆ことわった。それはそういう人達がどんなに偉大であろうが、どんなに権勢があろうが、そんな事は自分の目中《もくちゅう》に置いていなかったからである。それから又こんな事を思った。人の遭遇というものは、紹介状や何ぞで得られるものではない。紹介状や何ぞで得られたような遭遇は、別に或物が土台を造っていたのである。紹介状は偶然そこへ出くわしたのである。開《あ》いている扉があったら足を容《い》れよう。扉が閉じられていたら通り過ぎよう。こう思って、田中さんの紹介状一本の外は、皆貰わずに置いたのである。
自分は東京に来ているには違ない。しかしこんなにしていて、東京が分かるだろうか。こうしていては国の書斎にいるのも同じ事ではあるまいか。同じ事なら、まだ好《い》い。国で中学を済ませた時、高等学校の試験を受けに東京へ出て、今では大学にはいっているものもある。瀬戸のように美術学校にはいっているものもある。直ぐに社会に出て、職業を求めたものもある。自分が優等の成績を以て卒業しながら、仏蘭西語の研究を続けて、暫く国に留《とど》まっていたのは、自信があり抱負があっての事であった。学士や博士になることは余り希望しない。世間にこれぞと云って、為《し》て見たい職業もない。家には今のように支配人任せにしていても、一族が楽に暮らして行《ゆ》かれるだけの財産がある。そこで親類の異議のうるさいのを排して創作家になりたいと決心したのであった。
そう思い立ってから語学を教えて貰っている教師のベルタンさんに色々な事を問うて見たが、この人は巴里の空気を呼吸していた人の癖に、そんな方面の消息は少しも知らない。本業で読んでいる筈《はず》の新旧約全書でも、それを偉大なる文学として観察するという事はない。何かその中の話を問うて見るのに、啻《ただ》に文学として観《み》ていないばかりではない、楽《たのし》んで読んでいるという事さえないようである。只寺院の側から観た煩瑣《はんさ》な註釈を加えた大冊の書物を、深く究めようともせずに、貯蔵しているばかりである。そして日々の為事には、国から来た新聞を読む。新聞では列国の均勢とか、どこかで偶々《たまたま》起っている外交問題とかいうような事に気を着けている。そんなら何か秘密な政治上のミッションでも持っているかと云うに、そうでもないらしい。恐らくは、欧米人の謂《い》う珈琲卓《コオフィイづくえ》の政治家の一人《いちにん》なのであろう。その外には東洋へ立つ前に買って来たという医書を少し持っていて、それを読んで自分の体だけの治療をする。殊にこの人の褐色の長い髪に掩われている頭には、持病の頭痛があって、古びたタラアルのような黒い衣で包んでいる腰のあたりにも、厭《いや》な病気があるのを、いつも手前療治で繕っているらしい。そんな人柄なので少し話を文学や美術の事に向けようとすると、顧みて他を言うのである。ようようの思《おもい》でこの人に為て貰った事は巴里の書肆《しょし》へ紹介して貰っただけである。
こんな事を思っている内に、故郷の町はずれの、田圃《たんぼ》の中に、じめじめした処へ土を盛って、不恰好《ぶかっこう》に造ったペンキ塗の会堂が目に浮ぶ。聖公会と書いた、古びた木札の掛けてある、赤く塗った門を這入ると、瓦《かわら》で築き上げた花壇が二つある。その一つには百合《ゆり》が植えてある。今一つの方にはコスモスが植えてある。どちらも春から芽を出しながら、百合は秋の初、コスモスは秋の季《すえ》に覚束《おぼつか》なげな花が咲くまで、いじけたままに育つのである。中にもコスモスは、胡蘿蔔《にんじん》のような葉がちぢれて、瘠《や》せた幹がひょろひょろして立っているのである。
その奥の、搏風《はふ》だけゴチック賽《まがい》に造った、ペンキ塗のがらくた普請が会堂で、仏蘭西語を習いに行《ゆ》く、少数の青年の外には、いつまで立っても、この中へ這入って来る人はない。ベルタンさんは老いぼれた料理人兼小使を一人使って、がらんとした、稍《やや》大きい家に住んでいるのだから、どこも彼処《かしこ》も埃《ほこり》だらけで、白昼に鼠《ねずみ》が駈け廻っている。
ベルタンさんは長崎から買って来たという大きいデスクに、千八百五十何年などという年号の書いてある、クロオスの色の赤だか黒だか分からなくなった書物を、乱雑に積み上げて置いている。その側には食い掛けた腸詰や乾酪《かんらく》を載せた皿が、不精にも勝手へ下げずに、国から来たFigaro《フィガロ》の反古《ほご》を被《かぶ》せて置いてある。虎斑《とらふ》の猫が一匹積み上げた書物の上に飛び上がって、そこで香箱を作って、腸詰の※[#「※」は「勹+二」、第3水準1−14−75、34−3]《におい》を嗅《か》いでいる。
その向うに、茶褐色の長い髪を、白い広い額から、背後《うしろ》へ掻《か》き上げて、例のタラアルまがいの黒い服を着て、お祖父《じい》さん椅子に、誰《たれ》やらに貰ったという、北海道の狐の皮を掛けて、ベルタンさんが据わっている。夏も冬も同じ事である。冬は部屋の隅の鉄砲煖炉に松真木《まつまき》が燻《くすぶ》っているだけである。
或日稽古の時間より三十分ばかり早く行ったので、ベルタンさんといろいろな話をした。その時教師がお前は何になる積りかと問うたので、正直にRomancier《ロマンシェエ》になると云った。ベルタンさんは二三度問い返して、妙な顔をして黙ってしまった。この人は小説家というものに就いては、これまで少しも考えて見た事がないので、何と云って好《い》いか分からなかったらしい。殆どわたくしは火星へ移住しますとでも云ったのと同じ位に呆れたらしい。
純一は読み掛けた雑誌も読まずにこんな回想に耽《ふけ》っていたが、ふと今朝婆あさんの起して置いてくれた火鉢の火が、真白い灰を被って小さくなってしまったのに気が附いて、慌てて炭をついで、頬を膨らせて頻《しき》りに吹き始めた。
六
天長節の日の午前はこんな風で立ってしまった。婆あさんの運んで来た昼食《ひるしょく》を食べた。そこへぶらりと瀬戸|速人《はやと》が来た。
婆あさんが倅の長次郎に白《しら》げさせて持《も》て来た、小さい木札に、純一が名を書いて、門の柱に掛けさせて置いたので、瀬戸はすぐに尋ね当てて這入って来たのである。日当りの好《い》い小部屋で、向き合って据わって見ると、瀬戸の顔は大分故郷にいた時とは違っている。谷中の坂の下で逢ったときには、向うから声を掛けたのと顔の形よりは顔の表情を見たのとで、さ程には思わなかったが、瀬戸の昔油ぎっていた顔が、今は干からびて、目尻や口の周囲《まわり》に、何か言うと皺《しわ》が出来る。家主《いえぬし》の婆あさんなんぞは婆あさんでも最少《もすこ》し艶々《つやつや》しているように思われるのである。瀬戸はこう云った。
「ひどくしゃれた内を見附けたもんだなあ」
「そうかねえ」
「そうかねえもないもんだ。一体君は人に無邪気な青年だと云われる癖に、食えない人だよ。田舎から飛び出して来て、大抵の人間ならまごついているんだが、誰《だれ》の所をでも一人で訪問する。家を一人で探して借りる。まるで百年も東京にいる人のようじゃないか」
「君、東京は百年前にはなかったよ」
「それだ。君のそう云う方面は馬鹿な奴には分からないのだ。君はずるいよ」
瀬戸は頻りにずるいよを振り廻して、純一の知己を以て自ら任じてい
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