。人の遭遇というものは、紹介状や何ぞで得られるものではない。紹介状や何ぞで得られたような遭遇は、別に或物が土台を造っていたのである。紹介状は偶然そこへ出くわしたのである。開《あ》いている扉があったら足を容《い》れよう。扉が閉じられていたら通り過ぎよう。こう思って、田中さんの紹介状一本の外は、皆貰わずに置いたのである。
自分は東京に来ているには違ない。しかしこんなにしていて、東京が分かるだろうか。こうしていては国の書斎にいるのも同じ事ではあるまいか。同じ事なら、まだ好《い》い。国で中学を済ませた時、高等学校の試験を受けに東京へ出て、今では大学にはいっているものもある。瀬戸のように美術学校にはいっているものもある。直ぐに社会に出て、職業を求めたものもある。自分が優等の成績を以て卒業しながら、仏蘭西語の研究を続けて、暫く国に留《とど》まっていたのは、自信があり抱負があっての事であった。学士や博士になることは余り希望しない。世間にこれぞと云って、為《し》て見たい職業もない。家には今のように支配人任せにしていても、一族が楽に暮らして行《ゆ》かれるだけの財産がある。そこで親類の異議のうるさいのを
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