《せいめい》の貴さを覚《さと》らない処から、廉価な戦死をするのだと云っている。誰《たれ》の書物をでも見るが好《い》い。殆ど皆そんな風に観察している。こっちでは又西洋人が太古のままの個人主義でいて、家族も国家も知らない為めに、片っ端から無政府主義になるように云っている。こんな風にお互にmeconnaissance[#一つ目の「e」は「´」付き]《メコンネッサンス》の交換をしているうちに、ドイツとアメリカは交換大学教授の制度を次第に拡張《こうちょう》する。白耳義《ベルギイ》には国際大学が程なく立つ。妙な話じゃないか」と云って、大村は黙ってしまった。
 純一も黙って考え込んだ。しかしそれと同時に尊敬している大村との隔てが、遽《にわ》かに無くなったような気がしたので、純一は嬉しさに覚えず微笑《ほほえ》んだ。
「何を笑うんだい」と、大村が云った。
「きょうは話がはずんで、愉快ですね」
「そうさ。一々の詞を秤《はかり》の皿に載せるような事をせずに、なんでも言いたい事を言うのは、我々青年の特権だね」
「なぜ人間は年を取るに従って偽善に陥ってしまうでしょう」
「そうさね。偽善というのは酷かも知れないが、甲らが硬くなるには違いないね。永遠なる生命が無いと共に、永遠なる若さも無いのだね」
 純一は暫く考えて云った。「それでもどうにかして幾分かその甲らの硬くなるのを防ぐことは出来ないでしょうか」
「甲らばかりでは無い。全身の弾力を保存しようという問題になるね。巴里《パリイ》のInstitut Pasteur《アンスチチュウ パストヨオル》にMetschnikoff《メチュニコッフ》というロシア人がいる。その男は人間の体が年を取るに従って段々石灰化してしまうのを防ぐ工夫をしているのだがね。不老不死の問題が今の世に再現するには、まあ、あんな形式で再現する外ないだろうね」
「そうですか。そんな人がありますかね。僕は死ぬまいなんぞとは思わないのですが、どうか石灰化せずにいたいものですね」
「君、メチュニコッフ自身もそう云っているのだよ。死なないわけには行《い》かない。死ぬるまで弾力を保存したいと云うのだね」
 二人共余り遠い先の事を考えたような気がしたので、言い合せたように同時に微笑んだ。二人はまだ老《おい》だの死だのということを、際限も無く遠いもののように思っている。人一人の生涯というものを測る尺度を、まだ具体的に手に取って見たことが無いのである。
 忽ち襖《ふすま》の外でことこと音をさせるのが聞えた。植長の婆あさんが気を利かせて、二人の午飯《ひるめし》を用意して、持ち運んでいたのである。

     二十一

 食事をしまって茶を飲みながら、隔ての無い青年同士が、友情の楽しさを緘黙《かんもく》の中《うち》に味わっていた。何か言わなくてはならないと思って、言いたくない事を言う位は、所謂附合いの人の心を縛る縄としては、最も緩いものである。その縄にも縛られずに平気で黙りたい間黙っていることは、或る年齢を過ぎては容易に出来なくなる。大村と純一とはまだそれが出来た。
 純一が炭斗《すみとり》を引き寄せて炭をついでいる間に、大村は便所に立った。その跡で純一の目は、急に青い鳥の脚本の上に注がれた。Charpentier et Fasquelle《シャルパンチエエ エエ ファスケル》版の仮綴《かりとじ》の青表紙である。忙《せ》わしい手は、紙切小刀で切った、ざら附いた、出入りのあるペエジを翻した。そして捜し出された小さい名刺は、引き裂かれるところであったが、堅靭《けんじん》なる紙が抗抵したので、揉《も》みくちゃにせられて袂《たもと》に入れられた。
 純一は証拠を湮滅《いんめつ》[#底本はルビを「えんめつ」と誤植]させた犯罪者の感じる満足のような満足を感じた。
 便所から出て来た大村は、「もうそろそろお暇《いとま》をしようか」と云って、中腰になって火鉢に手を翳《かざ》した。
「旅行の準備でもあるのですか」
「何があるものか」
「そんなら、まあ、好《い》いじゃありませんか」
「君も寂しがる性《たち》だね」と云って、大村は胡座《あぐら》を掻いて、又紙巻を吸い附けた。「寂しがらない奴は、神経の鈍い奴か、そうでなければ、神経をぼかして世を渡っている奴だ。酒。骨牌《かるた》。女。Haschisch《ハッシッシュ》」
 二人は顔を見合せて笑った。
 それから官能的受用で精神をぼかしているなんということは、精神的自殺だが、神経の異様に興奮したり、異様に抑圧せられたりして、体をどうしたら好《い》いか分らないようなこともある。そう云う時はどうしたら好いだろうと、純一が問うた。大村の説では、一番健全なのはスエエデン式の体操か何かだろうが、演習の仮設敵のように、向うに的を立てなくては、倦《う》
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