がある。二十七年には脩の次男|行晴《ゆきはる》が四月十三日に三歳にして歿した。陸《くが》が十二月に本所|松井町《まついちょう》三丁目四番地福島某の地所に新築した。即ち今の居宅《きょたく》である。長唄の師匠としてのこの人の経歴は、一たび優《ゆたか》のために頓挫《とんざ》したが、その後《ご》は継続して今日《こんにち》に至っている。なお下方に詳記するであろう。二十八年には保の三男純吉が七月十三日に生れた。二十九年には脩が一月に秀英舎|市《いち》が谷《や》工場の欧文校正係に転じて、牛込《うしごめ》二十騎町《にじっきちょう》に移った。この月十二日に脩の三男忠三さんが生れた。三十年には保が九月に根本羽嶽《ねもとうがく》の門に入《い》って易を問うことを始めた。長井金風《ながいきんぷう》さんの言《こと》に拠《よ》るに、羽嶽の師は野上陳令《のがみちんれい》、陳令の師は山本|北山《ほくざん》だそうである。栗本|鋤雲《じょうん》が三月六日に七十六歳で歿した。海保漁村の妾《しょう》が歿した。三十一年には保が八月三十日に羽嶽の義道館の講師になり、十二月十七日にその評議員になった。脩の長女花が十二月に生れた。島田
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