抽斎歿後の第三十年は明治二十一年である。一月に『東海暁鐘新報』は改題して東海の二字を除いた。同じ月に中江兆民《なかえちょうみん》が静岡を過ぎて保を訪《と》うた。兆民は前年の暮に保安条例に依《よ》って東京を逐《お》われ、大阪|東雲《しののめ》新聞社の聘に応じて西下する途次、静岡には来たのである。六月三十日に保の長男|三吉《さんきち》が生れた。八月十日に私立渋江塾を鷹匠町《たかじょうまち》二丁目に設くることを認可せられた。
脩《おさむ》は七月に東京から保の家に来て、静岡警察署内巡査講習所の英語教師を嘱託せられ、次で保と共に渋江塾を創設した。これより先《さき》脩は渋江氏に復籍していた。
脩は渋江塾の設けられた時妻さだを娶った。静岡の人福島竹次郎の長女で、県下|駿河国《するがのくに》安倍郡《あべごおり》豊田村《とよだむら》曲金《まがりがね》の素封家|海野寿作《うんのじゅさく》の娘分《むすめぶん》である。脩は三十五歳、さだは明治二年八月九日生であるから二十歳であった。
この年九月十五日に、保の許《もと》に匿名の書が届いた。日を期して決闘を求むる書である。その文体書風が悪作劇《いたずら》と
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