って東京を発した。諸生山田要蔵はこの時慶応義塾に寄宿した。
その百二
保は三河国|宝飯郡《ほいごおり》国府町《こふまち》に著《つ》いて、長泉寺《ちょうせんじ》の隠居所を借りて住んだ。そして九月三十日に愛知県中学校長に任ずという辞令を受けた。
保が学校に往って見ると、二つの急を要する問題が前に横《よこた》わっていた。教則を作ることと罰則を作ることとである。教則は案を具して文部省に呈し、その認可を受けなくてはならない。罰則は学校長が自ら作り自ら施すことを得るのである。教則の案は直ちに作って呈し、罰則は不文律となして、生徒に自力の徳教を誨《おし》えた。教則は文部省が輒《たやす》く認可せぬので、往復数十回を累《かさ》ね、とうとう保の在職中には制定せられずにしまった。罰則は果して必要でなかった。一人《いちにん》の※[#「言+圭」、295−5]違者《かいいしゃ》をも出《いだ》さなかったからである。
長泉寺の隠居所は次第に賑《にぎわ》しくなった。初め保は母と水木《みき》との二人の家族があったのみで、寂しい家庭をなしていたが、寄寓《きぐう》を請う諸生を、一人《ひとり》容《い》れ、二人容
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