いわんがごとくである。月の末には小試験があり、期の終にはまた大試験があった。
森|枳園《きえん》はこの年十二月一日に大蔵省印刷局の編修になった。身分は准判任御用掛で、月給四十円であった。局長|得能良介《とくのうりょうすけ》は初め八十円を給せようといったが、枳園は辞していった。多く給せられて早く罷《や》められんよりは、少《すくな》く給せられて久しく勤めたい。四十円で十分だといった。局長はこれに従って、特に耆宿《きしゅく》として枳園を優遇し、土蔵の内に畳を敷いて事務を執らせた。この土蔵の鍵《かぎ》は枳園が自ら保管していて、自由にこれに出入《しゅつにゅう》した。寿蔵碑に「日々入局《にちにちきょくにいり》、不知老之将至《おいのまさにいたらんとするをしらず》、殆為金馬門之想云《ほとんどきんばもんのおもいをなすという》」と記《き》してある。
抽斎歿後の第二十二年は明治十三年である。保は四月に第二等に進み、七月に破格を以て第一等に進み、遂に十二月に全科の業を終えた。下等の同学生には渡辺修、平賀敏《ひらがびん》があり、また同じ青森県人に芹川得一《せりかわとくいち》、工藤儀助《くどうぎすけ》があった
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