|前《ぜん》に、弘前|俎林《まないたばやし》の山林地が渋江氏に割与せられたのみである。これは士分のものに授産の目的を以て割与した土地に剰余があったので、当路者が士分として扱われざる医者にも恩恵を施したのだそうである。この地面の授受は浅越玄隆《あさごえげんりゅう》が五百の委託によって処理した。
 五百が弘前を去る時、村田広太郎の許《もと》から帰った水木《みき》を伴わなくてはならぬことは勿論《もちろん》であった。その外|陸《くが》もまた夫矢川文一郎と倶《とも》に五百に附いて東京へ往くことになった。
 文一郎は弘前を発する前に、津軽家の用達《ようたし》商人|工藤忠五郎蕃寛《くどうちゅうごろうはんかん》の次男|蕃徳《はんとく》を養子にして弘前に遺《のこ》した。蕃寛には二子二女があった。長男|可次《よしつぐ》は森甚平《もりじんぺい》の士籍、また次男蕃徳は文一郎の士籍を譲り受けた。長女お連《れん》さんは蕃寛の後《のち》を継いで、現に弘前の下白銀町《しもしろかねちょう》に矢川写真館を開いている。次女おみきさんは岩川《いわかわ》氏|友弥《ともや》さんを壻に取って、本町一丁目角にエム矢川写真所を開いてい
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