。この人たちは啻《ただ》に酒家|妓楼《ぎろう》に出入《いでいり》するのみではなく、常に無頼《ぶらい》の徒と会して袁耽《えんたん》の技を闘わした。良三の如きは頭を一つ竈《べっつい》にしてどてらを被《き》て街上《かいじょう》を闊歩《かっぽ》したことがあるそうである。優善の背後には、もうネメシスの神が逼《せま》り近づいていた。
 渋江氏が亀沢町に来る時、五百はまた長尾一族のために、本《もと》の小家《こいえ》を新しい邸に徙《うつ》して、そこへ一族を棲《すま》わせた。年月《ねんげつ》は詳《つまびらか》にせぬが、長尾氏の二女の人に嫁したのは、亀沢町に来てからの事である。初め長女敬が母と共に坐食するに忍びぬといって、媒《なかだち》するもののあるに任せて、猿若町《さるわかちょう》三丁目|守田座附《もりたざつき》の茶屋|三河屋力蔵《みかわやりきぞう》に嫁し、次で次女|銓《せん》も浅草|須賀町《すがちょう》の呉服商|桝屋儀兵衛《ますやぎへえ》に嫁した。未亡人は筆算が出来るので、敬の夫力蔵に重宝《ちょうほう》がられて、茶屋の帳場にすわることになった。
 抽斎の蔵書は兼て三万五千部あるといわれていたが、この年
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