を迎えた。枳園だけは病家へ往《ゆ》かなくてはならぬ職業なので、衣類も一通《ひととおり》持っていたが、家族は身に着けたものしか持っていなかった。枳園の妻|勝《かつ》の事を、五百《いお》があれでは素裸《すはだか》といっても好《い》いといった位である。五百は髪飾から足袋《たび》下駄《げた》まで、一切|揃《そろ》えて贈った。それでも当分のうちは、何かないものがあると、蔵から物を出すように、勝は五百の所へ貰《もら》いに来た。或日これで白縮緬の湯具《ゆぐ》を六本|遣《や》ることになると、五百がいったことがある。五百がどの位親切に世話をしたか、勝がどの位|恬然《てんぜん》として世話をさせたかということが、これによって想像することが出来る。また枳園に幾多の悪《あく》性癖があるにかかわらず、抽斎がどの位、その才学を尊重していたかということも、これによって想像することが出来る。
枳園が医書彫刻取扱|手伝《てつだい》という名義を以て、躋寿館に召し出されたのは、嘉永元年十月十六日である。
当時躋寿館で校刻に従事していたのは、『備急《びきゅう》千金要方』三十巻三十二冊の宋槧本《そうざんぼん》であった。これよ
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