はあるが、五百の身に取っては、自分が抽斎に嫁し得るというポッシビリテエの生じたのは、二月に岡西氏|徳《とく》が亡くなってから後《のち》の事である。常に往来していた渋江の家であるから、五百は徳の亡くなった二月から、自分の嫁して来る十一月までの間にも、抽斎を訪《と》うたことがある。未婚男女の交際とか自由結婚とかいう問題は、当時の人は夢にだに知らなかった。立派な教育のある二人《ふたり》が、男は四十歳、女は二十九歳で、多く年を閲《けみ》した友人関係を棄てて、遽《にわか》に夫婦関係に入《い》ったのである。当時においては、醒覚《せいかく》せる二人《ににん》の間に、此《かく》の如く婚約が整ったということは、絶《たえ》てなくして僅《わずか》にあるものといって好かろう。
 わたくしは鰥夫《おとこやもめ》になった抽斎の許《もと》へ、五百の訪《とぶら》い来た時の緊張したシチュアションを想像する。そして保《たもつ》さんの語った豊芥子《ほうかいし》の逸事を憶《おも》い起して可笑《おか》しく思う。五百の渋江へ嫁入する前であった。或日五百が来て抽斎と話をしていると、そこへ豊芥子が竹の皮包《かわつつみ》を持って来合せ
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