た。
準平はこれより先《さき》愛知県会の議長となったことがある。某年に県会が畢《おわ》って、県吏と議員とが懇親の宴を開いた。準平は平素県令|国貞廉平《くにさだれんぺい》の施設に慊《あきたら》なかったが、宴|闌《たけなわ》なる時、国貞の前に進んで杯《さかずき》を献じ、さて「お※[#「肴+殳」、第4水準2−78−4]《さかな》は」と呼びつつ、国貞に背《そむ》いて立ち、衣《い》を搴《かか》げて尻《しり》を露《あらわ》したそうである。
保は国府《こふ》に来てから、この準平と相識になった。既にして準平が兄弟《けいてい》になろうと勧めた。保は謙《へりくだ》って父子になる方が適当であろうといった。遂に父子と称して杯を交した。準平は四十四歳、保は二十五歳の時である。
この時東京には政党が争い起《おこ》った。改進党が成り、自由党が成り、また帝政党が成って、新聞紙は早晩これらの結党式の挙行せらるべきことを伝えた。準平と保とは国府《こふ》にあってこういった。「東京の政界は華々しい。我ら田舎に住んでいるものは、淵《ふち》に臨んで魚《ぎょ》を羨《うらや》むの情に堪えない。しかし大《だい》なるものは成るに難く、小なるものは成るに易《やす》い。我らも甲らに似せて穴を掘り、一の小政社を結んで、東京の諸先輩に先んじて式を挙げようではないか」といった。この政社の雛形《ひながた》は進取社と名づけられて、保は社長、準平は副社長であった。
その百三
抽斎歿後の第二十四年は明治十五年である。一月《いちげつ》二日に保の友武田準平が刺客《せきかく》に殺された。準平の家には母と妻と女《むすめ》一人《ひとり》とがいた。女の壻|秀三《ひでぞう》は東京帝国大学医科大学の別科生になっていて、家にいなかった。常は諸生がおり、僕がおったが、皆新年に暇《いとま》を乞《こ》うて帰った。この日家人が寝《しん》に就《つ》いた後《のち》、浴室から火が起った。唯《ただ》一人暇を取らずにいた女中が驚き醒《さ》めて、烟《けぶり》の厨《くりや》を罩《こ》むるを見、引窓《ひきまど》を開きつつ人を呼んだ。浴室は庖厨《ほうちゅう》の外に接していたのである。準平は女中の声を聞いて、「なんだ、なんだ」といいつつ、手に行燈《あんどう》を提《さ》げて厨に出て来た。この時一人の引廻《ひきまわし》がっぱを被《き》た男が暗中より起《た》って、準平
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