」の徒目附《かちめつけ》の部に載せられている。住所は初め湯島《ゆしま》天沢寺前《てんたくじまえ》としてあって、後には湯島天神裏門前としてある。保さんの記憶している家は麟祥院前《りんしょういんまえ》の猿飴《さるあめ》の横町であったそうである。孫三郎は維新後静岡県の官吏になって、良政《よしまさ》と称し、後また東京に入《い》って、下谷《したや》車坂町《くるまざかちょう》で終ったそうである。
 比良野|貞固《さだかた》は妻かなが歿した後《のち》、稲葉氏から来た養子|房之助《ふさのすけ》と二人で、鰥暮《やもめぐら》しをしていたが、無妻で留守居を勤めることは出来ぬと説くものが多いので、貞固の心がやや動いた。この年の頃になって、媒人《なこうど》が表坊主《おもてぼうず》大須《おおす》というものの女《むすめ》照《てる》を娶《めと》れと勧めた。「武鑑」を検するに、慶応二年に勤めていたこの氏の表坊主父子がある。父は玄喜《げんき》、子は玄悦《げんえつ》で、麹町《こうじまち》三軒家《さんげんや》の同じ家に住んでいた。照は玄喜の女《むすめ》で、玄悦の妹ではあるまいか。
 貞固は津軽家の留守居役所で使っている下役《したやく》杉浦喜左衛門《すぎうらきざえもん》を遣《や》って、照を見させた。杉浦は老実な人物で、貞固が信任していたからである。照に逢って来た杉浦は、盛んに照の美を賞して、その言語《げんぎょ》その挙止さえいかにもしとやかだといった。
 結納《ゆいのう》は取換《とりかわ》された。婚礼の当日に、五百《いお》は比良野の家に往って新婦を待ち受けることになった。貞固と五百とが窓の下《もと》に対坐していると、新婦の轎《かご》は門内に舁《か》き入れられた。五百は轎を出る女を見て驚いた。身の丈《たけ》極《きわめ》て小さく、色は黒く鼻は低い。その上口が尖《とが》って歯が出ている。五百は貞固を顧みた。貞固は苦笑《にがわら》をして、「お姉《あね》えさん、あれが花よめ御《ご》ですぜ」といった。
 新婦が来てから杯《さかずき》をするまでには時が立った。五百は杉浦のおらぬのを怪《あやし》んで問うと、よめの来たのを迎えてすぐに、比良野の馬を借りて、どこかへ乗って往ったということであった。
 暫らくして杉浦は五百と貞固との前へ出て、※[#「桑+頁」、第3水準1−94−2]《ひたい》の汗を拭《ぬぐ》いつついった。「実に分疏
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