衛門が妻《さい》の妹の五百を、啻《ただ》抽斎の配偶として尊敬するのみでなく、かくまでに信任したには、別に来歴がある。それは或時宗右衛門が家庭のチランとして大いに安を虐待して、五百の厳《きびし》い忠告を受け、涙を流して罪を謝したことがあって、それから後《のち》は五百の前に項《うなじ》を屈したのである。
 宗右衛門は性質|亮直《りょうちょく》に過ぐるともいうべき人であったが、癇癪持《かんしゃくもち》であった。今から十二年|前《ぜん》の事である。宗右衛門はまだ七歳の銓《せん》に読書を授け、この子が大きくなったなら士《さむらい》の女房《にょうぼう》にするといっていた。銓は記性《きせい》があって、書を善く読んだ。こういう時に、宗右衛門が酒気を帯びていると、銓を側に引き附けて置いて、忍耐を教えるといって、戯《たわむれ》のように煙管《キセル》で頭を打つことがある。銓は初め忍んで黙っているが、後《のち》には「お父《と》っさん、厭《いや》だ」といって、手を挙げて打つ真似《まね》をする。宗右衛門は怒《いか》って「親に手向《てむかい》をするか」といいつつ、銓を拳《こぶし》で乱打する。或日こういう場合に、安が停《と》めようとすると、宗右衛門はこれをも髪を攫《つか》んで拉《ひ》き倒して乱打し、「出て往《ゆ》け」と叫んだ。
 安は本《もと》宗右衛門の恋女房である。天保五年三月に、当時阿部家に仕えて金吾《きんご》と呼ばれていた、まだ二十歳の安が、宿に下《さが》って堺町《さかいちょう》の中村座へ芝居を看《み》に往った。この時宗右衛門は安を見初《みそ》めて、芝居がはねてから追尾《ついび》して行って、紺屋町の日野屋に入るのを見極めた。同窓の山内栄次郎の家である。さては栄次郎の妹であったかというので、直ちに人を遣《や》って縁談を申し込んだのである。
 こうしたわけで貰《もら》われた安も、拳の下《もと》に崩れた丸髷《まるまげ》を整える遑《いとま》もなく、山内へ逃げ帰る。栄次郎の忠兵衛は広瀬を名告《なの》る前の頃で、会津屋《あいづや》へ調停に往くことを面倒がる。妻はおいらん浜照《はまてる》がなれの果で何の用にも立たない。そこで偶《たまたま》渋江の家から来合せていた五百に、「どうかして遣ってくれ」という。五百は姉を宥《なだ》め賺《すか》して、横山町へ連れて往った。
 会津屋に往って見れば、敬はうろうろ立ち廻っ
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