て、何処《どこ》かに埋没しているであろうか。これを捜討《そうとう》せんと欲するに、由るべき道がない。保さんは今に※[#「二点しんにょう+台」、第3水準1−92−53]るまで歎惜して已《や》まぬのである。
『直舎《ちょくしゃ》伝記抄』八冊は今富士川游君が蔵している。中に題号を闕《か》いたものが三冊交っているが、主に弘前医官の宿直部屋の日記を抄写したものである。上《かみ》は宝永元年から下《しも》は天保九年に至る。所々《しょしょ》に善《ぜん》云《いわく》と低書《ていしょ》した註がある。宝永元年から天明五年に至る最古の一冊は題号がなく、引用書として『津軽一統志』、『津軽軍記』、『津陽《しんよう》開記』、『御系図《ごけいず》三通』、『歴年|亀鑑《きかん》』、『孝公行実《こうこうぎょうじつ》』、『常福寺|由緒書《ゆいしょがき》』、『津梁《しんりょう》院過去帳抄』、『伝聞《でんぶん》雑録』、『東藩《とうはん》名数』、『高岡霊験記《たかおかれいげんき》』、『諸書|案文《あんもん》』、『藩翰譜《はんかんぷ》』が挙げてある。これは諸書について、主に弘前医官に関する事を抄出したものであろう。
『四《よ》つの海』は抽斎の作った謡物《うたいもの》の長唄《ながうた》である。これは書と称すべきものではないが、前に挙げた『護痘要法』と倶《とも》に、江戸時代に刊行せられた二、三葉の綴文《とじぶみ》である。
『仮面の由来』、これもまた片々《へんぺん》たる小冊子である。

   その五十六

『呂后千夫《りょこうせんふ》』は抽斎の作った小説である。庚寅《かのえとら》の元旦に書いたという自序があったそうであるから、その前年に成ったもので、即ち文政十二年二十五歳の時の作であろう。この小説は五百《いお》が来り嫁した頃には、まだ渋江の家にあって、五百は数遍《すへん》読過したそうである。或時それを筑山左衛門《ちくさんさえもん》というものが借りて往った。筑山は下野国《しもつけのくに》足利《あしかが》の名主だということであった。そして終《つい》に還《かえ》さずにしまった。以上は国文で書いたものである。
 この著述の中《うち》刊行せられたものは『経籍訪古志』、『留真譜』、『護痘要法』、『四つの海』の四種に過ぎない。その他は皆写本で、徳富蘇峰さんの所蔵の『※[#「衞/心」、168−8]語《えいご》』、富士川游さんの所蔵の
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