《うずたか》く積み上げてあった。抽斎がそこへ来掛かると、本箱が崩れ墜《お》ちた。抽斎はその間に介《はさ》まって動くことが出来なくなった。
 五百《いお》は起きて夫の後《うしろ》に続こうとしたが、これはまだ講義室に足を投ぜぬうちに倒れた。
 暫くして若党|仲間《ちゅうげん》が来て、夫妻を扶《たす》け出した。抽斎は衣服の腰から下が裂け破れたが、手は両刀を放たなかった。
 抽斎は衣服を取り繕う暇《ひま》もなく、馳《は》せて隠居|信順《のぶゆき》を柳島の下屋敷に慰問し、次いで本所二つ目の上屋敷に往った。信順は柳島の第宅《ていたく》が破損したので、後に浜町《はまちょう》の中屋敷に移った。当主|順承《ゆきつぐ》は弘前にいて、上屋敷には家族のみが残っていたのである。
 抽斎は留守居比良野|貞固《さだかた》に会って、救恤《きゅうじゅつ》の事を議した。貞固は君侯在国の故を以て、旨《むね》を承《う》くるに遑《いとま》あらず、直ちに廩米《りんまい》二万五千俵を発して、本所の窮民を賑《にぎわ》すことを令した。勘定奉行|平川半治《ひらかわはんじ》はこの議に与《あずか》らなかった。平川は後に藩士が悉《ことごと》く津軽に遷《うつ》るに及んで、独り永《なが》の暇《いとま》を願って、深川《ふかがわ》に米店《こめみせ》を開いた人である。

   その四十八

 抽斎が本所二つ目の津軽家上屋敷から、台所町に引き返して見ると、住宅は悉く傾《かたぶ》き倒れていた。二階の座敷牢は粉韲《ふんせい》せられて迹《あと》だに留《とど》めなかった。対門《たいもん》の小姓組|番頭《ばんがしら》土屋《つちや》佐渡守|邦直《くになお》の屋敷は火を失していた。
 地震はその夜《よ》歇《や》んでは起り、起っては歇《や》んだ。町筋ごとに損害の程度は相殊《あいことな》っていたが、江戸の全市に家屋土蔵の無瑕《むきず》なものは少かった。上野の大仏は首が砕け、谷中《やなか》天王寺《てんのうじ》の塔は九輪《くりん》が落ち、浅草寺の塔は九輪が傾《かたぶ》いた。数十カ所から起った火は、三日の朝辰の刻に至って始て消された。公《おおやけ》に届けられた変死者が四千三百人であった。
 三日以後にも昼夜数度の震動があるので、第宅《ていたく》のあるものは庭に小屋掛《こやがけ》をして住み、市民にも露宿するものが多かった。将軍家定は二日の夜《よる》吹上《ふきあ
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