、声高く笑つた。
学士は機械的に答へた。「さうさ。時々はそんなこともあるだらう。」
患者は右の手の甲で鼻柱をこすつた。そして問うた。「先生、煙草を上がりますか。」
「飲まない。」
「それでは致し方がございません。実は若し紙巻を持つて入らつしやるなら、一本頂戴しようと思つたのです。」
「病室内では喫煙は禁じてあるのだ。言ひ聞かせてある筈だが。」
「さうでしたか。どうも忘れてなりません。まだ病院に慣れないものですから」と、患者は再び笑つた。
暫くは二人共黙つてゐた。
窓は随分細かい格子にしてある。それでも部屋へは一ぱいに日が差し込んでゐるので、外の病室のやうに陰気ではなくて、晴々《せい/\》として、気持が好い。
「この病室は好い病室だ」と、学士は親切げに云つた。
「えゝ。好い部屋ですね。こんな所へ入れて貰はうとは思ひませんでしたよ。わたくしはこれまで癲狂院といふものへ這入つたことがないものですから、もつとひどい所だらうと思つてゐました。ひどいと云つては悪いかも知れません。兎に角丸で別な想像をしてゐたのですね。これなら愉快でさあ。どの位置かれるのだか知りませんが、ちよつとやそつとの間
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