す。それにかういふ事が書いてありました。それは実際詰まらない事なのかも知れません。併しわたくしははつと思つて驚いて、その文句を記憶して置いたのでございますね。」
「面白い」と、学士はつぶやいた。
「その文句はかうです。自然は一定の法則に遵《したが》ひて行はる。何物をも妄《みだ》りに侵し滅さず。然れども早晩これに対して債を求む。自然は何物をも知らず。善悪を知らず。決して或る絶待的なるもの、永遠なるもの、変易せざるものを認めず。人間は自然の子なり。然れども自然は単に人間の母たる者にあらず。何物をも曲庇《きよくひ》することなし。凡そその造る所の物は、他物を滅ぼしてこれを造る。或る物を造らんが為めには、必ず他の物を破壊す。自然は万物を同一視すと云ふのですね。」
「それはさうだ」と、学士は悲しげに云つたが、すぐに考へ直した様子で、又鼻目金を懸けて、厳格な調子で言ひ足した。「だからどうだと云ふのだ。」
患者は笑つた。頗る不服らしい様子で、長い間笑つてゐた。そして笑ひ已《や》んで答へた。「だからどうだとも云ふのではありません。御覧の通り、それは愚《ぐ》な思想です。いや。思想なんといふものは含蓄せられてゐない程愚です。単に事実で、思想ではありません。思想のない事実は無意味です。そこで思想をわたくしが自分で演繹して見ました。わたくしの概念的に論定した所では、かう云つて宜しいか知れませんが、自然の定義は別に下さなくてはなりません。自然は決して絶待的永遠なるものを非認してはをりません。それどころではない。自然に於いては凡ての物が永遠です。単調になるまで永遠です。どこまでも永遠です。併し永遠なのは事実ではなくて、理想です。存在の本体です。一本一本の木ではなくて、その景物です。一|人《にん》一人の人ではなくて、人類です。恋をしてゐる人ではなくて、恋そのものです。天才の人や悪人ではなくて、天才や罪悪です。お分かりになりますか。」
「うん。分かる」と、学士はやうやう答へた。
「お互にこゝにかうしてゐて、死の事なんぞを考へて煩悶します。目の前の自然なんぞはどうでも好いのです。我々が死ぬるには、なんの後悔もなく、平気で死ぬるのです。そして跡にはなんにも残りません。簡単極まつてゐます。併し我々の苦痛は永遠です。さう云つて悪ければ、少くもその苦痛の理想は永遠です。いつの昔だか知らないが、サロモ第一世と
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