いと云ふ重大な事件があるから、その外の事は考へられない。今に大時計が打たなくてはならない。それが打つ以上は、スピイスブルクの市民の為めには、てんでに懐中時計を出して時間を合せるより大切な事はない。驚いた事には、その職でもないのに、外道奴、丁度此時大時計をいぢくり始めた。併しもう大時計が打ち出すので、市民はその方に気を取られて外道奴が何をするやら、見てゐることが出来なかつた。
「一つ」と大時計が云つた。
「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響《こだま》のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。
「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。
「十一」と大時計が云つた。
「十一」と皆が合槌を打つた。
「十二」と大時計が云つた。
「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。
「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんで
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