》のことも頼んでまいりましょう」
女中はまめまめしく出て行った。子供は楽しげに※[#「米+巨」、第3水準1−89−83]※[#「米+女」、第3水準1−89−81]《おこしごめ》やら、乾《ほ》した果《くだもの》やらを食べはじめた。
しばらくすると、この材木の蔭へ人のはいって来る足音がした。「姥竹《うばたけ》かい」と母親が声をかけた。しかし心のうちには、柞《ははそ》の森まで往って来たにしては、あまり早いと疑った。姥竹というのは女中の名である。
はいって来たのは四十歳ばかりの男である。骨組みのたくましい、筋肉が一つびとつ肌の上から数えられるほど、脂肪の少い人で、牙彫《げぼり》の人形のような顔に笑《え》みを湛《たた》えて、手に数珠《ずず》を持っている。我が家を歩くような、慣れた歩きつきをして、親子のひそんでいるところへ進み寄った。そして親子の座席にしている材木の端に腰をかけた。
親子はただ驚いて見ている。仇《あた》をしそうな様子も見えぬので、恐ろしいとも思わぬのである。
男はこんなことを言う。「わしは山岡大夫という船乗りじゃ。このごろこの土地を人買いが立ち廻るというので、国守が旅人に宿を貸すことを差し止めた。人買いをつかまえることは、国守の手に合わぬと見える。気の毒なは旅人じゃ。そこでわしは旅人を救うてやろうと思い立った。さいわいわしが家は街道《かいどう》を離れているので、こっそり人を留めても、誰に遠慮もいらぬ。わしは人の野宿をしそうな森の中や橋の下を尋ね廻って、これまで大勢の人を連れて帰った。見れば子供衆が菓子を食べていなさるが、そんな物は腹の足しにはならいで、歯に障《さわ》る。わしがところではさしたる饗応《もてなし》はせぬが、芋粥《いもがゆ》でも進ぜましょう。どうぞ遠慮せずに来て下されい」男は強《し》いて誘うでもなく、独語《ひとりごと》のように言ったのである。
子供の母はつくづく聞いていたが、世間の掟にそむいてまでも人を救おうというありがたい志に感ぜずにはいられなかった。そこでこう言った。「承われば殊勝なお心がけと存じます。貸すなという掟のある宿を借りて、ひょっと宿主《やどぬし》に難儀をかけようかと、それが気がかりでございますが、わたくしはともかくも、子供らに温《ぬく》いお粥《かゆ》でも食べさせて、屋根の下に休ませることが出来ましたら、そのご恩はのちの世まで
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