の詮議《せんぎ》か。当山は勅願の寺院で、三門には勅額をかけ、七重の塔には宸翰金字《しんかんこんじ》の経文が蔵《おさ》めてある。ここで狼藉《ろうぜき》を働かれると、国守《くにのかみ》は検校《けんぎょう》の責めを問われるのじゃ。また総本山東大寺に訴えたら、都からどのような御沙汰《ごさた》があろうも知れぬ。そこをよう思うてみて、早う引き取られたがよかろう。悪いことは言わぬ。お身たちのためじゃ」こう言って律師はしずかに戸を締めた。
 三郎は本堂の戸を睨《にら》んで歯咬《はが》みをした。しかし戸を打ち破って踏み込むだけの勇気もなかった。手のものどもはただ風に木の葉のざわつくようにささやきかわしている。
 このとき大声で叫ぶものがあった。「その逃げたというのは十二三の小わっぱじゃろう。それならわしが知っておる」
 三郎は驚いて声の主《ぬし》を見た。父の山椒大夫に見まごうような親爺《おやじ》で、この寺の鐘楼守《しゅろうもり》である。親爺は詞を続《つ》いで言った。「そのわっぱはな、わしが午《ひる》ごろ鐘楼から見ておると、築泥《ついじ》の外を通って南へ急いだ。かよわい代りには身が軽い。もう大分の道を行ったじゃろ」
「それじゃ。半日に童の行く道は知れたものじゃ。続け」と言って三郎は取って返した。
 松明《たいまつ》の行列が寺の門を出て、築泥《ついじ》の外を南へ行くのを、鐘楼守は鐘楼から見て、大声で笑った。近い木立ちの中で、ようよう落ち着いて寝ようとした鴉《からす》が二三羽また驚いて飛び立った。

     ――――――――――――

 あくる日に国分寺からは諸方へ人が出た。石浦に往ったものは、安寿の入水《じゅすい》のことを聞いて来た。南の方へ往ったものは、三郎の率いた討手が田辺まで往って引き返したことを聞いて来た。
 中二日おいて、曇猛律師が田辺の方へ向いて寺を出た。盥《たらい》ほどある鉄の受糧器を持って、腕の太さの錫杖《しゃくじょう》を衝いている。あとからは頭を剃りこくって三|衣《え》を着た厨子王《ずしおう》がついて行く。
 二人は真昼に街道を歩いて、夜は所々の寺に泊った。山城の朱雀野《しゅじゃくの》に来て、律師は権現堂に休んで、厨子王に別れた。「守本尊を大切にして往け。父母の消息はきっと知れる」と言い聞かせて、律師は踵《くびす》を旋《めぐら》した。亡くなった姉と同じことを言う坊様だ
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