」
「でも早く往きたいのですもの」と、姉娘は言った。
一群れはしばらく黙って歩いた。
向うから空桶《からおけ》を担《かつ》いで来る女がある。塩浜から帰る潮汲《しおく》み女である。
それに女中が声をかけた。「もしもし。この辺に旅の宿をする家はありませんか」
潮汲み女は足を駐《と》めて、主従四人の群れを見渡した。そしてこう言った。「まあ、お気の毒な。あいにくなところで日が暮れますね。この土地には旅の人を留めて上げる所は一軒もありません」
女中が言った。「それは本当ですか。どうしてそんなに人気《じんき》が悪いのでしょう」
二人の子供は、はずんで来る対話の調子を気にして、潮汲み女のそばへ寄ったので、女中と三人で女を取り巻いた形になった。
潮汲み女は言った。「いいえ。信者が多くて人気のいい土地ですが、国守《くにのかみ》の掟《おきて》だからしかたがありません。もうあそこに」と言いさして、女は今来た道を指さした。「もうあそこに見えていますが、あの橋までおいでなさると高札《たかふだ》が立っています。それにくわしく書いてあるそうですが、近ごろ悪い人買いがこの辺を立ち廻ります。それで旅人に宿を貸して足を留めさせたものにはお咎《とが》めがあります。あたり七軒巻添えになるそうです」
「それは困りますね。子供衆もおいでなさるし、もうそう遠くまでは行かれません。どうにかしようはありますまいか」
「そうですね。わたしの通う塩浜のあるあたりまで、あなた方がおいでなさると、夜になってしまいましょう。どうもそこらでいい所を見つけて、野宿をなさるよりほか、しかたがありますまい。わたしの思案では、あそこの橋の下にお休みなさるがいいでしょう。岸の石垣にぴったり寄せて、河原に大きい材木がたくさん立ててあります。荒川の上《かみ》から流して来た材木です。昼間はその下で子供が遊んでいますが、奥の方には日もささず、暗くなっている所があります。そこなら風も通しますまい。わたしはこうして毎日通う塩浜の持ち主のところにいます。ついそこの柞《ははそ》の森の中です。夜になったら、藁《わら》や薦《こも》を持って往ってあげましょう」
子供らの母は一人離れて立って、この話を聞いていたが、このとき潮汲み女のそばに進み寄って言った。「よい方に出逢《であ》いましたのは、わたしどもの為合《しあわ》せでございます。そこへ往って
前へ
次へ
全26ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング