事を言つてゐるのです」と叫んだ。それがもつと激烈な事を言ひたいのをこらへてゐるといふ風であつた。
 ゴロロボフはすぐに立ち上がつて、一寸会釈をした。そしてソロドフニコフがまだなんとも考へる暇のないうちに、すぐに又腰を掛けて、頗る小さい声で、しかもはつきりとかう云つた。「なんの為めでもありません。わたくしはさう感じ、さう信じてゐるからです。そして自殺しようと思つてゐるからです。」
 ソロドフニコフは両方の目を大きく※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みひら》いて、唇を動かしながら、見習士官の顔を凝視した。見習士官は矢張前のやうにぢつとして据わつてゐて、匙で茶碗の中を掻き廻してゐる。ソロドフニコフはそれを凝視してゐればゐる程、或る事件がはつきりして来るやうに思はれた。その考へは頭の中をぐる/\廻つてゐる。一しよう懸命に気を鎮めようとするうちに、忽ち頭の中が明るくなるのを感じた。併しまだその事件が十分に信じ難いやうに思はれた。そして問うた。
「ゴロロボフ君。君はまさか気が違つてゐるのではあるまいね。」
 ゴロロボフは涙ぐんで来て、高く聳やかした、狭い肩をゆすつた。「わたくしも最初はさう思ひました。」
「そして今はどう思ふのですか。」
「今ですか。今は自分が気が違つてゐない、自分が自殺しようと思ふのに、なんの不合理な処もないと思つてゐます。」
「それではなんの理由もなく自殺をするのですか。」
「理由があるからです」と、ゴロロボフは詞を遮るやうに云つた。
「その理由は」と、ソロドフニコフは何を言ふだらうかと思ふらしく問うた。
「さつきあれ程|精《くは》しくお話申したではありませんか」と、ゴロロボフは問はれるのがさも不思議なといふ風で答へた。そして暫く黙つてゐて、それから慇懃に、しかもなんだか勉強して説明するといふ調子で云つた。「わたくしの申したのは、詰まり人生は死刑の宣告を受けてゐると同じものだと見做すと云ふのです。そこでその処刑の日を待つてゐたくもなく、又待つてゐる気力もありませんから、寧ろ自分で。」
「それは無意味ですね。そんなら暴力を遁《のが》れようとして暴力を用ゐると云ふもので。」
「いゝえ。暴力を遁れようとするのではありません。それは遁れられはしません。死刑の宣告を受けてゐる命を早く絶つてしまはうと云ふのです。寧ろ早く絶たうと。」
 ソロドフニコフはこれを聞いたとき、なんだか心持の悪い、冷たい物を背中に浴びたやうで、両方の膝が顫えて来た。口では、「併しさうしたつて同じ事ではありませんか」と云つた。
「いゝえ。わたくしの霊が自然に打ち勝つのです。それが一つで、それから。」
「でもその君の霊といふものも、君の体と同じやうに、矢張自然が造つたもので。」
 忽ちゴロロボフが微笑んだ。ソロドフニコフは始て此男の微笑むのを見た。そしてそれを見てぎよつとした。大きい口がへんにゆがんで、殆ど耳まで裂けてゐるやうになつてゐる。小さい目をしつかり瞑《ねむ》つてゐる。そのぼやけた顔附が丸で酒に酔つておめでたくなつたといふやうな風に見えるのである。ゴロロボフは微笑んで答へた。「それは好く知つてゐます。どちらも自然の造つたものには違ひありませんが、わたくしの為めには軽重《けいぢゆう》があります。わたくしの霊といふとわたくし自己です。体は仮の宿に過ぎません。」
「でも誰かがその君の体を打つたら、君だつて痛くはないですか。」
「えゝ。痛いです。」
「さうして見れば。」
 ゴロロボフは相手の詞を遮つた。「若しわたくしの体がわたくし自己であつたら、わたくしは生きてゐることになるでせう。なぜといふに、体といふものは永遠です。死んだ跡にも残つてゐます。さうして見れば死は処刑の宣告にはならないのです。」
 ソロドフニコフは余儀なくせられたやうに微笑んだ。「これまで聞いたことのない、最も奇抜な矛盾ですね。」
「いゝえ。奇抜でもなければ、矛盾でもないです。体が永遠だと云ふ事は事実です。わたくしが死んだら、わたくしの体は分壊して原子になつてしまふのでせう。その原子は別な形体になつて、原子そのものは変化しません。又一つも消滅はしません。わたくしの体の存在してゐる間有つた丈の原子は死んだ跡でも依然として宇宙間に存在してゐます。事に依つたら、一歩を進めて、その原子が又た同じ組立を繰り返して、同じ体を拵へるといふことも考へられませう。そんな事はどうでも好いのです。霊は死にます。」
 ソロドフニコフは力を入れて自分の両手を握り合せた。もう此見習士官を狂人だとは思はない。そしてその言つてゐる事が意味があるかないか、それを判断することが出来なくなつた。気が沈んで来た。見習士官の詞と、薄暗いランプの光と、自分の思量と、いやにがらんとした部屋とから、陰気なやうな、咄々《とつ/\》人
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