列に並んでいる。宝珠院本堂の背後の縁下には、九つの大瓶《おおがめ》が切石の上に伏せてある。これはその中に入るべくして入らなかった九人の遺物である。堺では十一基の石碑を「御残念様」と云い、九箇の瓶《かめ》を「生運様《いきうんさま》」と云って参詣《さんけい》するものが迹《あと》を絶たない。
 十一人のうち箕浦は男子がなかったので、一時家が断絶したが、明治三年三月八日に、同姓箕浦幸蔵の二男|楠吉《くすきち》に家名を立てさせ、三等|下席《かせき》に列し、七石三斗を給し、次で幸蔵の願に依て、猪之吉の娘を楠吉に配することになった。
 西村は父清左衛門が早く亡くなって、祖父|克平《かつへい》が生存していたので、家督を祖父に復せられた。後には親族|筧氏《かけいうじ》から養子が来た。
 小頭以下兵卒の子は、幼少でも大抵兵卒に抱えられて、成長した上で勤務した。



底本:「阿部一族・舞姫」新潮文庫、新潮社
   1968(昭和43)年4月20日発行
   1979(昭和54)年8月15日24刷
入力:j_sekikawa
校正:小林繁雄
2001年3月12日公開
2001年6月30日修正
青空文庫作成フ
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