目+爭」、第3水準1−88−85]つて見送つて居たが、やう/\我に歸つて、「これこれ」と聲を掛けた。
「はい」と云つて、いちはおとなしく立ち留まつて振り返つた。
「どこへ往くのだ。さつき歸れと云つたぢやないか。」
「さう仰やいましたが、わたくし共はお願を聞いて戴くまでは、どうしても歸らない積りでございます。」
「ふん。しぶとい奴だな。兎に角そんな所へ往つてはいかん。こつちへ來い。」
子供達は引き返して、門番の詰所《つめしよ》へ來た。それと同時に玄關脇から、「なんだ、なんだ」と云つて、二三人の詰衆《つめしゆう》が出て來て、子供達を取り卷いた。いちは殆どかうなるのを待ち構へてゐたやうに、そこに蹲《うづくま》つて、懷中から書附を出して、眞先にゐる與力《よりき》の前に差し附けた。まつと長太郎も一しよに蹲つて禮をした。
書附を前へ出された與力は、それを受け取つたものか、どうしたものかと迷ふらしく、默つていちの顏を見卸してゐた。
「お願でございます」と、いちが云つた。
「こいつ等は木津川口で曝し物になつてゐる桂屋太郎兵衞の子供でございます。親の命乞をするのだと云つてゐます」と、門番が傍から説明した。
與力は同役の人達を顧みて、「では兎に角書附を預かつて置いて、伺つて見ることにしませうかな」と云つた。それには誰も異議がなかつた。
與力は願書をいちの手から受け取つて、玄關にはいつた。
――――――――――――――――
西町奉行の佐佐は、兩奉行の中の新參で、大阪に來てから、まだ一年立つてゐない。役向《やくむき》の事は總て同役の稻垣に相談して、城代《じやうだい》に伺つて處置するのであつた。それであるから、桂屋太郎兵衞の公事《くじ》に就いて、前役の申繼を受けてから、それを重要事件として氣に掛けてゐて、やうやう處刑の手續が濟んだのを重荷を卸したやうに思つてゐた。
そこへ今朝になつて、宿直の與力が出て、命乞《いのちごひ》の願に出たものがあると云つたので、佐佐は先づ切角運ばせた事に邪魔がはいつたやうに感じた。
「參つたのはどんなものか。」佐佐の聲は不機嫌であつた。
「太郎兵衞の娘兩人と倅とがまゐりまして、年上の娘が願書を差上げたいと申しますので、これに預つてをります。御覽になりませうか。」
「それは目安箱《めやすばこ》をもお設になつてをる御趣意から、次第によつては受け取つても宜しいが、一應はそれぞれ手續のあることを申聞せんではなるまい。兎に角預かつてをるなら、内見しよう。」
與力は願書を佐佐の前に出した。それを披いて見て佐佐は不審らしい顏をした。「いちと云ふのがその年上の娘であらうが、何歳になる。」
「取り調べはいたしませんが、十四五歳位に見受けまする。」
「さうか。」佐佐は暫く書附を見てゐた。不束《ふつゝか》な假名文字で書いてはあるが、條理が善く整つてゐて、大人でもこれだけの短文に、これだけの事柄を書くのは、容易であるまいと思はれる程である。大人が書かせたのではあるまいかと云ふ念が、ふと萌した。續いて、上を僞る横着物《わうちやくもの》の所爲《しよゐ》ではないかと思議した。それから一應の處置を考へた。太郎兵衞は明日の夕方迄曝すことになつてゐる。刑を執行するまでには、まだ時がある。それまでに願書を受理しようとも、すまいとも、同役に相談し、上役に伺ふことも出來る。又|縱《よ》しや其間に情僞《じやうぎ》があるとしても、相當の手續をさせるうちには、それを探ることも出來よう。兎に角子供を歸さうと、佐佐は考へた。
そこで與力にはかう云つた。此願書は内見したが、これは奉行に出されぬから、持つて歸つて町年寄《まちどしより》に出せと云へと云つた。
與力は、門番が歸さうとしたが、どうしても歸らなかつたと云ふことを、佐佐に言つた。佐佐は、そんなら菓子でも遣つて、賺《すか》して歸せ、それでも聽かぬなら引き立てて歸せと命じた。
與力の座を起つた跡へ、城代《じやうだい》太田備中守資晴《おほたびつちゆうのかみすけはる》が訪ねて來た。正式の見廻りではなく、私の用事があつて來たのである。太田の用事が濟むと、佐佐は只今かやうかやうの事があつたと告げて、自分の考を述べ、指圖を請《こ》うた。
太田は別に思案もないので、佐佐に同意して、午過ぎに東町奉行稻垣をも出席させて、町年寄五人に桂屋太郎兵衞が子供を召し連れて出させることにした。情僞があらうかと云ふ、佐佐の懸念も尤もだと云ふので、白洲へは責道具を並べさせることにした。これは子供を嚇して實を吐かせようと云ふ手段である。
丁度此相談が濟んだ所へ、前の與力が出て、入口に控へて氣色を伺つた。
「どうぢや、子供は歸つたか」と、佐佐が聲を掛けた。
「御意でござりまする。お菓子を遣《つかは》しまして歸さうと致しましたが、いちと申す娘がどうしても聽きませぬ。とうとう願書を懷へ押し込みまして、引き立てて歸しました。妹娘はしくしく泣きましたが、いちは泣かずに歸りました。」
「餘程情の剛《こは》い娘と見えますな」と、太田が佐佐を顧みて云つた。
――――――――――――――――
十一月二十四日の未《ひつじ》の下刻《げこく》である。西町奉行所の白洲ははればれしい光景を呈してゐる。書院には兩奉行が列座する。奧まつた所には別席を設けて、表向の出座ではないが、城代が取調の模樣を餘所《よそ》ながら見に來てゐる。縁側には取調を命ぜられた與力が、書役を隨へて著座する。
同心《どうしん》等が三道具《みつだうぐ》を衝き立てて、嚴めしく警固してゐる庭に、拷問に用ゐる、あらゆる道具が並べられた。そこへ桂屋太郎兵衞の女房と五人の子供とを連れて、町年寄五人が來た。
尋問は女房から始められた。しかし名を問はれ、年を問はれた時に、かつがつ返事をしたばかりで、其外の事を問はれても、「一向に存じませぬ」、「恐れ入りました」と云ふより外、何一つ申し立てない。
次に長女いちが調べられた。當年十六歳にしては、少し穉《をさな》く見える、痩肉《やせじし》の小娘である。しかしこれは些《ちと》の臆する氣色もなしに、一部始終の陳述をした。祖母の話を物蔭から聞いた事、夜になつて床に入つてから、出願を思ひ立つた事、妹まつに打明けて勸誘した事、自分で願書を書いた事、長太郎が目を醒したので同行を許し、奉行所の町名を聞いてから、案内をさせた事、奉行所に來て門番と應對し、次いで詰衆の與力に願書の取次を頼んだ事、與力等に強要せられて歸つた事、凡そ前日來經歴した事を問はれる儘に、はつきり答へた。
「それではまつの外には誰にも相談はいたさぬのぢやな」と、取調役が問うた。
「誰にも申しません。長太郎にも精しい事は申しません。お父つさんを助けて戴く樣に、お願しに往くと申しただけでございます。お役所から歸りまして、年寄衆のお目に掛かりました時、わたくし共四人の命を差し上げて、父をお助け下さるやうに願ふのだと申しましたら、長太郎が、それでは自分も命が差し上げたいと申して、とうとうわたくしに自分だけのお願書を書かせて、持つてまゐりました。」
いちがかう申し立てると、長太郎が懷から書附を出した。
取締役の指圖で、同心が一人長太郎の手から書附を受け取つて、縁側に出した。
取締役はそれを披いて、いちの願書と引き比べた。いちの願書は町年寄の手から、取調の始まる前に、出させてあつたのである。
長太郎の願書には、自分も※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、256−下−2]や弟妹と一しよに、父の身代りになつて死にたいと、前の願書と同じ手跡で書いてあつた。
取調役は「まつ」と呼びかけた。しかしまつは呼ばれたのに氣が附かなかつた。いちが「お呼になつたのだよ」と云つた時、まつは始めておそるおそる項垂れてゐた頭を擧げて、縁側の上の役人を見た。
「お前は※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、256−下−8]と一しよに死にたいのだな」と、取調役が問うた。
まつは「はい」と云つて頷いた。
次に取調役は「長太郎」と呼び掛けた。
長太郎はすぐに「はい」と云つた。
「お前は書附に書いてある通りに、兄弟一しよに死にたいのぢやな。」
「みんな死にますのに、わたしが一人生きてゐたくはありません」と、長太郎ははつきり答へた。
「とく」と取調役が呼んだ。とくは※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、256−下−16]や兄が順序に呼ばれたので、こんどは自分が呼ばれたのだと氣が附いた。そして只目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]つて役人の顏を仰ぎ見た。
「お前も死んでも好いのか。」
とくは默つて顏を見てゐるうちに、唇に血色が亡くなつて、目に涙が一ぱい溜まつて來た。
「初五郎」と取調役が呼んだ。
やう/\六歳になる末子の初五郎は、これも默つて役人の顏を見たが、「お前はどうぢや、死ぬるのか」と問はれて、活溌にかぶりを振つた。書院の人々は覺えず、それを見て微笑んだ。
此時佐佐が書院の敷居際まで進み出て、「いち」と呼んだ。
「はい。」
「お前の申立には※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]はあるまいな。若し少しでも申した事に間違があつて、人に教へられたり、相談をしたりしたのなら、今すぐに申せ。隱して申さぬと、そこに並べてある道具で、誠の事を申すまで責めさせるぞ。」佐佐は責道具のある方角を指さした。
いちは指された方角を一目見て、少しもたゆたはずに、「いえ、申した事に間違はございません」と言ひ放つた。其目は冷かで、其詞は徐かであつた。
「そんなら今一つお前に聞くが、身代りをお聞屆けになると、お前達はすぐに殺されるぞよ。父の顏を見ることは出來ぬが、それでも好いか。」
「よろしうございます」と、同じような、冷かな調子で答へたが、少し間を置いて、何か心に浮んだらしく、「お上の事には間違はございますまいから」と言ひ足した。
佐佐の顏には、不意打に逢つたやうな、驚愕の色が見えたが、それはすぐに消えて、險しくなつた目が、いちの面に注がれた。憎惡を帶びた驚異の目とでも云はうか。しかし佐佐は何も言はなかつた。
次いで佐佐は何やら取調役にささやいたが、間もなく取調役が町年寄に、「御用が濟んだから、引き取れ」と言ひ渡した。
白洲を下がる子供等を見送つて、佐佐は太田と稻垣とに向いて、「生先《おひさき》の恐ろしいものでござりますな」と云つた。心の中には、哀な孝行娘の影も殘らず、人に教唆《けうさ》せられた、おろかな子供の影も殘らず、只氷のやうに冷かに、刃のやうに鋭い、いちの最後の詞の最後の一句が反響してゐるのである。元文頃の徳川家の役人は、固より「マルチリウム」といふ洋語も知らず、又當時の辭書には獻身と云ふ譯語もなかつたので、人間の精神に、老若男女の別なく、罪人太郎兵衞の娘に現れたやうな作用があることを、知らなかつたのは無理もない。しかし獻身の中に潜む反抗の鋒《ほこさき》は、いちと語を交へた佐佐のみではなく、書院にゐた役人一同の胸をも刺した。
――――――――――――――――
城代も兩奉行もいちを「變な小娘だ」と感じて、その感じには物でも憑《つ》いてゐるのではないかと云ふ迷信さへ加はつたので、孝女に對する同情は薄かつたが、當時の行政司法の、元始的な機關が自然に活動して、いちの願意は期せずして貫徹した。桂屋太郎兵衞の刑の執行は、「江戸へ伺中《うかゞひちゆう》日延《ひのべ》」と云ふことになつた。これは取調のあつた翌日、十一月二十五日に町年寄に達せられた。次いで元文四年三月二日に、「京都に於いて大嘗會《だいじやうゑ》御執行《ごしつかう》相成候《あひなりさふらう》てより日限も不相立儀《あひたたざるぎ》に付、太郎兵衞事、死罪《しざい》御赦免《ごしやめん》被仰出《おほせいだされ》、大阪北、南組、天滿の三口|御構《おかまひ》の上追放」と云ふことになつた。桂屋の家族は、再び西奉行所に呼び出されて、父に別を告げる
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