供を殺して下さいと云つて頼むのである。それをお奉行樣が聽いて下すつて、お父つさんが助かれば、それで好い。子供は本當に皆殺されるやら、わたしが殺されて、小さいものは助かるやら、それはわからない。只お願をする時、長太郎だけは一しよに殺して下さらないやうに書いて置く。あれはお父つさんの本當の子でないから、死ななくても好い。それにお父つさんが此家の跡を取らせようと云つて入らつしやつたのだから、殺されない方が好いのである。いちは妹にそれだけの事を話した。
「でもこはいわねえ」と、まつが云つた。
「そんなら、お父つさんが助けてもらひたくないの。」
「それは助けてもらひたいわ。」
「それ御覽。まつさんは只わたしに附いて來て同じやうにさへしてゐれば好いのだよ。わたしが今夜願書を書いて置いて、あしたの朝早く持つて行きませうね。」
 いちは起きて、手習の清書をする半紙に、平假名で願書を書いた。父の命を助けて、其代りに自分と妹のまつ、とく、弟の初五郎をおしおきにして戴きたい、實子でない長太郎だけはお許下さるやうにと云ふだけの事ではあるが、どう書き綴つて好いかわからぬので、幾度も書き損つて、清書のためにもらつてあつた白紙が殘少になつた。しかしとう/\一番鷄の啼く頃に願書が出來た。
 願書を書いてゐるうちに、まつが寐入つたので、いちは小聲で呼び起して、床の傍に疊んであつた不斷着に著更へさせた。そして自分も支度をした。
 女房と初五郎とは知らずに寐てゐたが、長太郎が目を醒まして、「ねえさん、もう夜が明けたの」と云つた。
 いちは長太郎の床の傍へ往つてささやいた。「まだ早いから、お前は寐ておいで。ねえさん達は、お父つさんの大事な御用で、そつと往つて來る所があるのだからね。」
「そんならおいらも往く」と云つて、長太郎はむつくり起き上がつた。
 いちは云つた。「ぢやあ、お起《おき》、著物を著せて上げよう。長さんは小さくても男だから、一しよに往つてくれれば、其方が好いのよ」と云つた。
 女房は夢のやうにあたりの騷がしいのを聞いて、少し不安になつて寢がへりをしたが、目は醒めなかつた。
 三人の子供がそつと家を拔け出したのは、二番鷄の啼く頃であつた。戸の外は霜の曉であつた。提灯を持つて、拍子木を敲《たゝ》いて來る夜廻の爺いさんに、お奉行樣の所へはどう往つたら往かれようと、いちがたづねた。爺いさんは親切な、
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