いませんでした。こん度お上で島にゐろと仰やつて下さいます。そのゐろと仰やる所に、落ち着いてゐることが出來ますのが、先づ何よりも難有い事でございます。それにわたくしはこんなにかよわい體ではございますが、つひぞ病氣をいたしたことはございませんから、島へ往つてから、どんなつらい爲事《しごと》[#「爲事《しごと》」は底本では「爲事《しこと》」]をしたつて、體を痛めるやうなことはあるまいと存じます。それからこん度島へお遣下さるに付きまして、二百文の鳥目を戴きました。それをここに持つてをります。」かう云ひ掛けて、喜助は胸に手を當てた。遠島を仰せ附けられるものには、鳥目二百銅を遣すと云ふのは、當時の掟であつた。
 喜助は語を續いだ。「お恥かしい事を申し上げなくてはなりませぬが、わたくしは今日まで二百文と云ふお足を、かうして懷に入れて持つてゐたことはございませぬ[#「ございませぬ」は底本では「ございまぬ」]。どこかで爲事に取り附きたいと思つて、爲事を尋ねて歩きまして、それが見附かり次第、骨を惜まずに働きました。そして貰つた錢は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませなんだ。それも現金で物が買つて食
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