ともにて、低く平らなるものなり」と言ってある。そして図には※[#「竹かんむり/高」、第3水準1−89−70]《さお》で行《や》る舟がかいてある。
徳川時代には京都の罪人が遠島を言い渡されると、高瀬舟で大阪へ回されたそうである。それを護送してゆく京都|町奉行付《まちぶぎょうづき》の同心《どうしん》が悲しい話ばかり聞かせられる。あるときこの舟に載せられた兄弟殺しの科《とが》を犯した男が、少しも悲しがっていなかった。その子細を尋ねると、これまで食《しょく》を得《う》ることに困っていたのに、遠島を言い渡された時、銅銭二百|文《もん》をもらったが、銭《ぜに》を使わずに持っているのは始めだと答えた。また人殺しの科はどうして犯したかと問えば、兄弟は西陣に雇われて、空引《そらび》きということをしていたが、給料が少なくて暮らしが立ちかねた、そのうち同胞が自殺をはかったが、死に切れなかった、そこで同胞が所詮《しょせん》助からぬから殺してくれと頼むので殺してやったと言った。
この話は『翁草《おきなぐさ》』に出ている。池辺義象《いけべよしかた》さんの校訂した活字本で一ペエジ余に書いてある。私はこれを読んで
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