ないのである。二百文を財産として喜んだのが面白い。今一つは死に掛かつてゐて死なれずに苦んでゐる人を、死なせて遣ると云ふ事である。人を死なせて遣れば、即ち殺すと云ふことになる。どんな場合にも人を殺してはならない。翁草にも、教のない民だから、惡意がないのに人殺しになつたと云ふやうな、批評の詞があつたやうに記憶する。しかしこれはさう容易に杓子定木で決してしまはれる問題ではない。こゝに病人があつて死に瀕して苦んでゐる。それを救ふ手段は全くない。傍からその苦むのを見てゐる人はどう思ふであらうか。縱令教のある人でも、どうせ死ななくてはならぬものなら、あの苦みを長くさせて置かずに、早く死なせて遣りたいと云ふ情は必ず起る。こゝに麻醉藥を與へて好いか惡いかと云ふ疑が生ずるのである。其藥は致死量でないにしても、藥を與へれば、多少死期を早くするかも知れない。それゆゑ遣らずに置いて苦ませてゐなくてはならない。從來の道徳は苦ませて置けと命じてゐる。しかし醫學社會には、これを非とする論がある。即ち死に瀕して苦むものがあつたら、樂に死なせて、其苦を救つて遣るが好いと云ふのである。これをユウタナジイといふ。樂に死なせると云ふ意味である。高瀬舟の罪人は、丁度それと同じ場合にゐたやうに思はれる。私にはそれがひどく面白い。
かう思つて私は「高瀬舟」と云ふ話を書いた。中央公論で公にしたのがそれである。
[#地から2字上げ](大正五年一月「心の花」第二十卷第一號)
底本:「日本現代文學全集 7 森鴎外集」講談社
1962(昭和37)年1月19日初版第1刷
1980(昭和55)年5月26日増補改訂版第1刷
入力:青空文庫
1997年10月16日公開
2004年3月23日修正
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