しばしうぢ》と、十六歳になつた長政の妻保科氏とを俵にくるんで、しかかごと云ふものに入れ、浴室の壁の下を穿《うが》つて持ち出し、商人に粧つた友信に擔《にな》はせて、邸の裏の川端《かはばた》に繁つた蘆《あし》の間を通り、天滿の出入商人|納屋《なや》小左衞門方へ忍ばせた。これは豐臣方の遠見の番人に見付けられぬためである。さて納屋方《なやかた》では兩夫人を内藏《うちくら》に入れ、又家捜しをせられた時の用心に、主人小左衞門が寢所の板敷を疊一疊の幅だけ穿つて、床下に疊を敷き、藏からそこへ移すことの出來るやうにして置いた。それから小左衞門夫婦が奉公人に知らせぬやうに食事を運んだ。小左衞門の家には重昌が世話になつてゐて守護し、友信は其隣の家から見張つてゐた。
二三日立つて、利安が東條紀伊守の邸へ樣子を伺ひに往つて、話をしてゐると、黒田邸へ軍兵《ぐんぴょう》が寄せると云ふ知らせがあつた。利安は、これは存じも寄らぬ、いかなる仔細《しさい》があつての事か、御存じかと云つて、主人紀伊守の氣色を伺つた。返答によつては紀伊守を討ち取つて黒田邸へ歸らうと思つたのである。紀伊守は一向存ぜぬと云つた。利安は馬を飛ばせて天滿へ歸つた。黒田邸にはまだ何事もない。そこへ郡主馬宗保《こほりしゆめむねやす》の密使が來て、今軍兵が寄せると云つた。間もなく騎馬武者五十人、徒歩《かち》の者六百餘人が鐵砲二百|挺《ちやう》を持つて黒田邸を取り卷いた。寄手《よせて》の引率者は兩夫人がをられるかと問うた。利安は兩人共たしかにをられると受け合つた。寄手は定番《ぢやうばん》を殘して引き取つた。次いで城内の使が來て、見知人をよこすから、兩夫人を見せてくれと云つた。利安は一應、士《さむらひ》の女房の面吟味《おもてぎんみ》はさせられぬ、とことわつた。使は、外の大名の内室をも見ることになつてゐるから、是非物蔭から見せてくれと云つた。利安は甲斐守歸邸の上、いかなる咎《とがめ》に逢《あ》はうも知れぬ事ではあるが、是非なき場合ゆゑ、物蔭から見させようと云つた。見知人が來た。一人は櫛橋氏の若かつた時見たことのある女、今一人は保科氏の十二歳の時見たことのある女である。利安は信濃産《しなのうまれ》の侍女で、小笠原内藏助《をがさはらくらのすけ》と云ふものの娘に年|恰好《かつかう》の櫛橋氏に似たのがあるので、それを蚊帳《かや》の中に寢させ其侍女の
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