尽きそうになった。そこで宿屋の主人の世話で、九郎右衛門は按摩《あんま》になり、文吉は淡島《あわしま》の神主になった。按摩になったのは、柔術の心得があるから、按摩の出来ぬ筈はないと云うのであった。淡島の神主と云うのは、神社で神に仕えるものではない。胸に小さい宮を懸けて、それに紅《もみ》で縫った括猿《くくりざる》などを吊《つ》り下げ、手に鈴を振って歩く乞食《こじき》である。
その時九郎右衛門、宇平の二人は文吉に暇《いとま》を遣ろうとして、こう云った。これまでも我々は只お前と寝食を共にすると云うだけで、給料と云うものも遣らず、名のみ家来にしていたのに、お前は好く辛抱して勤めてくれた。しかしもう日本全国をあらかた遍歴して見たが、敵はなかなか見附からない。この按排《あんばい》では我々が本意を遂げるのは、いつの事か分らない。事によったらこのまま恨《うらみ》を呑《の》んで道路にのたれ死をするかも知れない。お前はこれまで詞《ことば》で述べられぬ程の親切を尽してくれたのだから、どうもこの上一しょにいてくれとは云い兼ねる。勿論《もちろん》敵の面体《めんてい》を見識らぬ我々は、お前に別れては困るに違ないが、もはや是非に及ばない。只運を天に任せて、名告《なの》り合う日を待つより外はない。お前は忠実この上もない人であるから、これから主取《しゅうどり》をしたら、どんな立身も出来よう。どうぞここで別れてくれと云うのであった。
九郎右衛門は兼て宇平に相談して置いて、文吉を呼んでこの申渡《もうしわたし》をした。宇平は側《そば》で腕組をして聞いていたが、涙は頬を伝って流れていた。
黙って衝《つ》っ伏《ぷ》して聞いていた文吉は、詞の切れるのを待って、頭を擡《もた》げた。※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》った目は異様に赫《かがや》いている。そして一声「檀那《だんな》、それは違います」と叫んだ。心は激して詞はしどろであったが、文吉は大凡《おおよそ》こんなことを言った。この度《たび》の奉公は当前《あたりまえ》の奉公ではない。敵討の供に立つからは、命はないものである。お二人が首尾好く本意を遂げられれば好し、万一敵に多勢の悪者でも荷担して、返討《かえりうち》にでも逢われれば、一しょに討たれるか、その場を逃れて、二重の仇《あだ》を討つかの二つより外ない。足腰の立つ間は、よしやお暇が出ても、影の
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