何か手掛りがありそうに思われるので、特別捜索をするのである。松坂では殿町に目代《もくだい》岩橋某と云うものがいて、九郎右衛門等の言うことを親切に聞き取って、綿密な調べをしてくれた。その調べ上げた事実を言って聞せられた時は、一行は暗中に燈火《ともしび》を認めたような気がしたのである。
 松坂に深野屋佐兵衛と云う大商人《おおしょうにん》がある。そこへは紀伊国熊野浦《きいのくにくまのうら》長島外町の漁師|定右衛門《さだえもん》と云うものが毎日|魚《うお》を送ってよこす。その縁で佐兵衛は定右衛門一|家《け》と心安くなっている。然るに定右衛門の長男亀蔵は若い時江戸へ出て、音信《いんしん》不通になったので、二男定助一人をたよりにしている。その亀蔵が今年正月二十一日に、襤褸《ぼろ》を身に纏《まと》って深野屋へ尋ねて来た。佐兵衛は「お前のような不孝者を、親父様《おやじさま》に知らせずに留めて置く事は出来ぬ」と云った。亀蔵はすごすご深野屋の店を立ち去ったが、それを見たものが、「あれは紀州の亀蔵と云う男で、なんでも江戸で悪い事をして、逃げて来たのだろう」と評判した。
 後に深野屋へ聞えた所に依ると、亀蔵は正月二十四日に、熊野|仁郷村《にんごうむら》にいるははかたの小父林助の家に来て、置いてくれと頼んだが、林助は貧乏していて、人を置くことが出来ぬと云って、勧めて父定右衛門が許《もと》へ遣《や》った。知人にたよろうとし、それが※[#「りっしんべん+(はこがまえ<夾)」、第3水準1−84−56]《かな》わぬ段になって、始めて親戚をおとずれ、親戚にことわられて、亀蔵はようよう親許へ帰る気になったらしい。定右衛門の家には二十八日に帰った。
 二月中旬に亀蔵は江戸で悪い事をして帰ったのだろうと云う噂《うわさ》が、松坂から定右衛門の方へ聞えた。定右衛門が何をしたかと問うた時、亀蔵は目上の人に創を負わせたと云った。そこで定右衛門と林助とで、亀蔵を坊主にして、高野山《こうやさん》に登らせることにした。二人が剃髪《ていはつ》した亀蔵を三浦坂まで送って別れたのが二月十九日の事である。亀蔵はその時茶の弁慶縞《べんけいじま》の木綿綿入を着て、木綿帯を締め、藍《あい》の股引《ももひき》を穿《は》いて、脚絆を当てていた。懐中には一両持っていた。
 亀蔵は二十二日に高野領清水村の又兵衛と云うものの家に泊って、翌二十三
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