らって、手早く例の包みを極右党の卓の中にしまった。
そこでおれは安心した。しかし念には念を入れるがいいと思って、ホテルを換えた。勘定は大分|嵩張《かさば》っていた。なぜと云うに、宿料、朝食代、給仕の賃銀なんぞの外に、いろいろな筆数が附いている。町の掃除人の妻にやった心附け、潜水夫にやった酒手、私立探偵事務所の費用なんぞである。
引き越したホテルはベルリン市のまるであべこべの方角にある。宿帳へは偽名をして附けた。なんでもホテルではおれを探偵だと思ったらしい。出入をするたびに、ホテルの外に立っている巡査が敬礼をする。
翌日は休日である。議会は休みのはずである。その翌日から予算が日程に上ぼっていて、大分盛んな議論があるらしい。その晩は無事に済んだ。その次の日の午前も無事に済んだ。ところが午後になると、議会から使が来て、大きなブックを出して、それに受取を書き込ませた。
門番があっけに取られたような風をして、両手の指を組み合せて、こう云った。「どうでも大臣か何かにおなりになるのではございますまいか。わたくしは議事堂に心安いものを持っています。食堂の給仕をいたしております。もしこれから何か御用がおありなさるなら、その男をお使い下さるようにお願い申します。確かな男でございます。」
おれの考えは少々違っていた。果せるかな、使は包みを一つ取り出して、それをおれに渡すのである。
門番はこう云った。「勲章でございましょう。銀の勲章でございましょう。これから二つ目の横町を右へお曲がりになる所の角へお持ちになりますと。」
「なんだい、それは。その角に持って行ってどうするのだい。」
「質店でございます。勲章なら、すぐに十マルクは御用立てます。官立典物所なんぞへお持ちになったって、あそこではせいぜい六マルクしかよこしません。なかなかずるうございますから。」
ところがおれの受け取ったのは、勲章でもなければ、大臣の辞令でもない。例の襟である。極右党の先生が御丁寧にも札を附けてくれた。こんな事が書いてある。「露国の名誉ある貴族たる閣下に、御遺失なされ候物品を返上致す機会を得《え》候《そうろう》は、拙者の最も光栄とする所に有之《これあり》候《そうろう》。猶《なお》将来共《しょうらいとも》。」あとは読んでも見なかった。
おれはホテルを出て、沈鬱して歩いていた。頼みに思った極右党はやはり頼み
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