子猿の口にも入る。
母猿は争いはする。しかし芋がたまさか子猿の口に這入《はい》っても子猿を窘《いじ》めはしない。本能は存外醜悪でない。
箸のすばしこい本能の人は娘の親ではない。親でないのに、たまさか箸の運動に娘が成功しても叱りはしない。
人は猿よりも進化している。
四本の箸は、すばしこくなっている男の手と、すばしこくなろうとしている娘の手とに使役せられているのに、今二本の箸はとうとう動かずにしまった。
永遠に渇している目は、依然として男の顔に注がれている。世に苦味走ったという質《たち》の男の顔に注がれている。
一の本能は他の本能を犠牲にする。
こんな事は獣にもあろう。しかし獣よりは人に多いようである。
人は猿より進化している。
[#地から1字上げ](明治四十三年一月)
底本:「普請中 青年 森鴎外全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1995(平成7)年7月24日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版森鴎外全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月〜9月刊
入力:鈴木修一
校正:松永正敏
2003年8月20日作成
2005年11月15日修正
青空文庫作成ファ
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