の時の詞を、己は黙って聞いていたが、いまだに忘れない。「猪飼さん。あなたきつそうな風をしていても、まるでいく地のない方ね。あなたに言って聞かせて置くのですが、女と云うものは時々ぶんなぐってくれる男にでなくっては惚《ほ》れません。好く覚えていらっしゃい」と云ったっけ。芸者には限らない。女と云うものはそうしたものかも知れない。この頃のお常|奴《め》は、己を傍に引き附けて置いてふくれ面をして抗《あらが》ってばかしいようとしやがる。己にどうかして貰いたいと云う様子が見えている。打たれたいのだ。そうだ。打たれたいのだ。それに相違ない。お常奴は己がこれまで食う物もろくに食わせないで、牛馬《うしうま》のように働かせていたものだから、獣のようになっていて、女らしい性質が出ずにいたのだ。それが今の家に引き越した頃から、女中を使って、奥さんと云われて、だいぶ人間らしい暮らしをして、少し世間並の女になり掛かって来たのだ。そこでおしゅんの云ったようにぶんなぐって貰いたくなったのだ。
そこで己はどうだ。金の出来るまでは、人になんと云われても構わない。乳臭い青二才にも、旦那と云ってお辞儀をする。踏まれても蹴《け》られても、損さえしなければ好《い》いと云う気になって、世間を渡って来た。毎日毎日どこへ往《い》っても、誰《たれ》の前でも、平蜘妹《ひらぐも》のようになって這いつくばって通った。世間の奴等に附き合って見るに、目上に腰の低い奴は、目下にはつらく当って、弱いものいじめをする。酔って女や子供をなぐる。己には目上も目下もない。己に金を儲《もう》けさせてくれるものの前には這いつくばう。そうでない奴は、誰でも彼でも一切いるもいないも同じ事だ。てんで相手にならない。打ち遣って置く。なぐるなんと云う余計な手数《てすう》は掛けない。そんな無駄をする程なら、己は利足《りそく》の勘定でもする。女房をもその扱いにしていたのだ。
お常奴己になぐって貰いたくなったのだ。当人には気の毒だが、こればかりはお生憎様《あいにくさま》だ。債務者の脂を柚子《ゆず》なら苦い汁が出るまで絞ることは己に出来る。誰をも打つことは出来ない。末造はこんな事を考えたのである。
拾陸《じゅうろく》
無縁坂の人通りが繁くなった。九月になって、大学の課程が始まるので、国々へ帰っていた学生が、一時《いちじ》に本郷|界隈《かいわい
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