倒な事を言っていて、とうとうそんなことわり憎い壻さんが来るようになったと云うものもある。お前方の方で厭《いや》なのなら、遠い所へでも越すより外あるまいが、相手がおまわりさんで見ると、すぐにどこへ越したと云うことを調べて、その先へ掛け合うだろうから、どうも逃げ果《おお》せることは出来まいと、威《おど》すように云うものもある。中にも一番物分かりの好いと云う評判のお上さんの話がこうだ。「あの子はあんな好《い》い器量で、お師匠さんも芸が出来そうだと云って褒めてお出《いで》だから、早く芸者の下地子《したじっこ》にお出しと、わたしがそう云ったじゃありませんか。一人もののおまわりさんと来た日には、一軒一軒見て廻るのだから、子柄の好いのを内に置くと、いやおうなしに連れて行ってしまいなさる。どうもそう云う方に見込まれたのは、不運だとあきらめるより外、為方《しかた》がないね」と云うような事を言ったそうだ。末造がこの噂を聞いてから、やっと三月ばかりも立った頃であっただろう。飴細工屋の爺いさんの家に、或る朝戸が締まっていて、戸に「貸屋差配松永町西のはずれにあり」と書いて張ってあった。そこで又近所の噂を、買物の序《ついで》に聞いて見ると、おまわりさんには国に女房も子供もあったので、それが出し抜けに尋ねて来て、大騒ぎをして、お玉は井戸へ身を投げると云って飛び出したのを、立聞をしていた隣の上さんがようよう止めたと云うことであった。おまわりさんが壻に来ると云う時、爺いさんは色々の人に相談したが、その相談相手の中《うち》には一人も爺いさんの法律顧問になってくれるものがなかったので、爺いさんは戸籍がどうなっているやら、どんな届がしてあるやら一切|無頓着《むとんじゃく》でいたのである。巡査が髭《ひげ》を拈《ひね》って、手続は万事|己《おれ》がするから好いと云うのを、少しも疑わなかったのである。その頃松永町の北角《きたずみ》と云う雑貨店に、色の白い円顔で腮《あご》の短い娘がいて、学生は「頤《あご》なし」と云っていた。この娘が末造にこう云った。「本当にたあちゃんは可哀そうでございますわねえ。正直な子だもんですから、全くのお壻さんだと思っていたのに、おまわりさんの方では、下宿したような積《つもり》になっていたと云うのですもの」と云った。坊主頭の北角の親爺が傍《そば》から口を出した。「爺いさんも気の毒ですよ。町
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