たので、かかりつけの医者の薬を飲んでもなかなかなおらない。これでは旅立ちの日を延ばさなくてはなるまいかと言って、女房と相談していると、そこへ小女が来て、「只今《ただいま》ご門の前へ乞食坊主《こじきぼうず》がまいりまして、ご主人にお目にかかりたいと申しますがいかがいたしましょう」と言った。
「ふん、坊主か」と言って閭はしばらく考えたが、「とにかく逢ってみるから、ここへ通せ」と言いつけた。そして女房を奧へ引っ込ませた。
 元来閭は科挙に応ずるために、経書《けいしょ》を読んで、五言の詩を作ることを習ったばかりで、仏典を読んだこともなく、老子を研究したこともない。しかし僧侶や道士というものに対しては、なぜということもなく尊敬の念を持っている。自分の会得《えとく》せぬものに対する、盲目の尊敬とでも言おうか。そこで坊主と聞いて逢おうと言ったのである。
 まもなくはいって来たのは、一人の背の高い僧であった。垢《あか》つき弊《やぶ》れた法衣《ほうえ》を着て、長く伸びた髪を、眉の上で切っている。目にかぶさってうるさくなるまで打ちやっておいたものと見える。手には鉄鉢《てっぱつ》を持っている。
 僧は黙って
前へ 次へ
全15ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング