あと》はどうなっていますか」
「只今もあき家になっておりますが、折り折り夜になると、虎が参って吼《ほ》えております」
「そんならご苦労ながら、そこへご案内を願いましょう」こう言って、閭は座を起った。
道翹は蛛《くも》の網《い》を払いつつ先に立って、閭を豊干のいたあき家に連れて行った。日がもう暮れかかったので、薄暗い屋内を見廻すに、がらんとして何一つない。道翹は身をかがめて石畳の上の虎の足跡を指さした。たまたま山風が窓の外を吹いて通って、うずたかい庭の落ち葉を捲き上げた。その音が寂寞《せきばく》を破ってざわざわと鳴ると、閭は髪の毛の根を締めつけられるように感じて、全身の肌に粟《あわ》を生じた。
閭は忙《せわ》しげにあき家を出た。そしてあとからついて来る道翹に言った。「拾得《じっとく》という僧はまだ当寺におられますか」
道翹は不審らしく閭の顏を見た。「よくご存じでございます。先刻あちらの厨《くりや》で、寒山と申すものと火に当っておりましたから、ご用がおありなさるなら、呼び寄せましょうか」
「ははあ。寒山も来ておられますか。それは願ってもないことです。どうぞご苦労ついでに厨にご案内を願
前へ
次へ
全15ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング